デルフィ(ギリシャ)

シノフスの宝庫・北側巨神族の戦い

シフノスの宝庫・東側神々の集会

カーブを曲がったところに、原形をとどめているのであろう建物が残っている。近代オリンピックのマラソン競技の基になったアテネとペルシャのマラトンの戦い(紀元前490~489年)に勝利したアテネが、戦利品の10分の1を奉納したともいわれる「アテネ(人)の宝庫」。

この宝庫にも壁面に彫刻があった。軒下部分の外周をグルッと囲むのは、ヘラクレスやテセウスのギリシャ神話などの彫刻。博物館で一部を間近に見られる。

アテネ人の宝庫・南側テセウスとアンディオピ(左)

当時は神託が「当たった」ことで勝利した感謝として、さまざまな都市国家や民族がこぞって宝庫や塔を建てて奉納した。神託を受けたのに負けた例がなかったのか、ちょっと気になる。

「神託」が授けられた場所

アテネの宝庫の先の斜面に大きな岩がある「乙女の岩」といい、デルフィの巫女がこの岩の上で神託を授けた場所だという。

さらに進むと「アテネの列柱館(柱廊)」。今は柱が3本立っているだけだが、紀元前548年ごろに建てられたときは、7本の柱で柱廊になっていたらしい。当時の海戦に勝利して奉納したのだという。

その上に、大きな柱が見える。「アポロン神殿」がすぐ上に見えている。道を進んで、今度は左に大きくカーブすると、巨大な柱が並ぶアポロン神殿に着く。

紀元前4世紀に、地震で崩壊した古神殿の跡に建てられたという。今は土台と柱しか残っていないが、ここが「アポロンの神託」が行われた場所だ。今はピティアをトランス状態にした蒸気は出ていない。

柱は全部で正面に6本、側面は15本あったという。内部は豪華な壁画で飾られ、外壁にも彫刻が施されていた。東側の破風にはアポロン、アルテミス兄妹の物語、西側破風には神々と巨人族の戦いの場面が描かれていたそうだ。

紀元前4~3世紀に起こった何度かの神聖戦争などを経て、紀元前2世紀に古代ローマの支配を受けることになる。その後、ローマ皇帝のネロやコンスタンティヌスらが多くの奉納品を持ち去り、衰退をたどった。もう神託を受ける必要がなくなったということだろうか。

芸能とスポーツも奉納されていた

デルフィが隆盛だったのは、神託だけではなかった。アポロン神殿を見下ろすように「劇場」がある。紀元前582年に始まった「ピティア祭」では、スポーツ競技のほかにアポロンに奉納する音楽のコンテストや演劇などが行われた。紀元前159年に造られた5000人収容の大劇場だった。

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