デルフィ(ギリシャ)

アギアス像

 

アンディオノス像

クレオヴィスとヴィトン像

「踊り子たちの柱」「スフィンクス」などは、多くの柱の上を飾っていた。確かに先に博物館を見た方が、当時のデルフィの隆盛のイメージが沸くかもしれない。

踊り子たちの柱

 

スフィンクス像

 

神託への感謝の宝庫群

博物館を後にして、丘を登りながら遺跡を見ていく。歩くのは、神託を受けに来た人たちも歩いた「聖なる道」。山側の道の右手、柱が立っているところは「スパルタの奉納館」があったところだ。

道の左の谷側は建物の跡が残っているが、状態はよくない。進むと右に曲線の壇のような石積み。「アルゴスの記念碑」というそうだが、記念碑らしきものはなかった。

聖なる道は斜面を曲がりながら登っていく。最初の右カーブのところにあるのが「シキオンの宝庫」と奥隣に「シフノス(人)の宝庫」、さらに奥に「ボイオティアの宝庫」と並んでいる。

シキオンの宝庫(手前)とシフノスの宝庫(奥)

いずれも往時の姿はなく土台しか残っていないが、シフノスの宝庫の壁面は彫刻で飾られていた。博物館に「巨神族の戦い」「神々の集会」のきれいな彫刻が残っていた。

シノフスの宝庫・北側巨神族の戦い

シフノスの宝庫・東側神々の集会

カーブを曲がったところに、原形をとどめているのであろう建物が残っている。近代オリンピックのマラソン競技の基になったアテネとペルシャのマラトンの戦い(紀元前490~489年)に勝利したアテネが、戦利品の10分の1を奉納したともいわれる「アテネ(人)の宝庫」。

この宝庫にも壁面に彫刻があった。軒下部分の外周をグルッと囲むのは、ヘラクレスやテセウスのギリシャ神話などの彫刻。博物館で一部を間近に見られる。

アテネ人の宝庫・南側テセウスとアンディオピ(左)

当時は神託が「当たった」ことで勝利した感謝として、さまざまな都市国家や民族がこぞって宝庫や塔を建てて奉納した。神託を受けたのに負けた例がなかったのか、ちょっと気になる。

「神託」が授けられた場所

アテネの宝庫の先の斜面に大きな岩がある「乙女の岩」といい、デルフィの巫女がこの岩の上で神託を授けた場所だという。

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