富岡製糸場と絹産業遺産群(日本)


行った時は修復工事中だったが、2020年秋には一般公開される予定という。

「富国強兵・殖産興業」の象徴

明治新政府となって間もないころ。日本にとっては世界に追いつく国力をつけるために「絹」は重要な輸出品。世界も日本の絹をほしがったが、品質の悪い絹も出回ったという。
明治新政府のスローガンはいち早く海外列強に追いつくための「富国強兵・殖産興業」。海外での評価を落とさないために「模範工場」として作られたのが、この富岡製糸場になる。
工場造りも「模範」となるように地元でほとんどを解決していった。西置繭所からUターンして、東置繭所をくぐり、右手に進む。工場としてはメーンとなる「繰糸場」に向かった。
途中左手には、「検査人館」「女工館」と、洋館が並ぶ。ともに1873年(明6)に建てられた。この製糸場は、建築家のブリュナをはじめ、フランス人の技術者10人ほどが工場の設計から施工、機械製糸などの指導に当たった。
検査人は、その通り、生産された生糸の質を検査する人で、これもフランス人が行った。木骨レンガ造りで、彼らの宿舎に使われた。

  1. この記事へのコメントはありません。