富岡製糸場と絹産業遺産群(日本)
東京~関越道~富岡
明治時代に日本の特産品「絹」を世界に送り出した工場がある。世界遺産に登録されて4カ月後の2014年、行ってみた。
午前9時の開場に合わせて、群馬県富岡市に車で出かけた。製糸場には駐車場はないので、上信電鉄上州富岡駅のそばにある大きな駐車場に入れた。ここから歩いて10~15分ほど。駅から伸びる商店街には当時「祝 世界遺産登録」の垂れ幕やら、横断幕やら、手書きの壁紙やらにあふれていた。
富岡製糸場には開場の10分前ぐらいについたのだが、すでに長い列が出来ていた。
立地条件の良さから選ばれた官製工場
ボランティアのガイドツアーがおもしろそうだったが、すでに満員。音声ガイド(200円)を借りた。スマホなどでは見学ポイントで解説を無料で聞ける。
入ってすぐ正面のレンガ造りの建物が国宝に指定された「東置繭所」。
入口(通路)の上には「明治五年」の表札が掲げられている。入ると、設立からの歴史を説明したパネルや機械の展示、土産店になっている。一応、ここでおおまかな富岡製糸場のあらましが分かるので、寄っていこう。
富岡製糸場は1870年(明3)に官製工場として設立がきまり、当時周辺での養蚕が盛んで、広い土地や水が確保でき、燃料の石炭も近くで採れたことなどから、群馬県富岡に選定された。
外国人が来て指導することへの周辺住民の同意を得られたことが大きかったというから、鎖国がなくなって3年、まだ外国人への「アレルギー」が各地にあったのだろうか。
1872年(明5)に主な建物が完成し、操業を開始している。その建物が、140年経った今もほとんどが残っている。
東置繭所を抜けると、広場のようになっている。左手はなにやら工事中。ここには「乾燥場」という、繭を乾燥させる建物があるが、2014年2月の大雪で倒壊した。1922年(大11)に作られた木造の建物。隙間からのぞくと、屋根が落ちてつぶれていた。修復には相当な時間と費用がかかりそうだ。
国宝「西置繭所」は2020年秋公開
先に進むと、乾燥場の後ろ側に高さ37・5㍍のコンクリート製の煙突が見える。1939年(昭14)に建てられたもので、1872年に建てられた初代の煙突は36㍍の鉄製で12年後に暴風で倒れたという。
高い煙突は石炭燃料によるばい煙対策だったといい、エコな工場だったようだ。
広場をはさんで東置繭所と反対側に「西置繭所」がある。説明板は西繭倉庫だった。こちらもレンガ造りの2階建てで、東置繭所と同じ構造、大きさになっていた。
東西の置繭所では2階に乾燥させた繭を保管していた。窓が多く、風通しをよくしていた。2棟合わせて30トン以上の繭を保管できたという。かいこ何匹分なのか、見当がつかない。
西繭倉庫は1階の一部が石炭置き場として改造されて、当時はレンガの壁が取り払われていたという。いまはレンガでふさいでいるが、昭和のレンガと明治のレンガで見た目でも違いが分かる。
建設当時のレンガは、埼玉の深谷から職人を呼んで近くに窯をつくったという。耐久性など試行錯誤しながら工場全体のレンガを作ったそうだ。
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