
琉球王国のグスクおよび関連遺跡群(日本)

2つの壺
さらに進むと、観光パンフなどでよく見る風景。「三庫理(さんぐーい)」。2つの岩がもたれかかるようにたち、三角形の空間がある。

そこを通っていくと拝所になる。薄暗い。ここから林に開いたハート型の隙間から海が見え、遠くに久高島が浮かんでいる。ここで1人で拝んでいれば、やっぱりパワーがもらえそうな、ちょっと神秘的な雰囲気をしている。

森の隙間の向こうに久高島
黒船ペリーが絶賛した石組み
さて、時間の許す限り、世界遺産に登録された城(ぐすく)を巡ってみる。カーナビで見て、行けそうなのが「中城(なかぐすく)城跡」と「勝連城跡」。まず中城城跡に行ってみた。
丘の上に築かれ、300以上ある沖縄のグスクの中で、もっとも多くの遺構が残っているという。芝生の運動場を抜け「裏門」から入るのがルートになっている。
琉球石灰岩で作られた6つの郭が並ぶ連郭式の山城で、全体に細長い。裏門手前のジオラマで全体像をみて、裏門をくぐった。

まず「北の郭」に入ると、井戸が残っている。海側に上がると「三の郭」。石組みの技法がもっとも進んでいるというので「新城(みーぐすく)」とも呼ばれているそう。

中城三の郭
隣が「二の郭」。城壁の曲線が美しいらしい。中城は14世紀中ごろから建造が始まり、公式HPなどによると一、二、南、西の廓が先にできた。その後15世紀半ばにこの地を収める按司(あじ=領主)・護佐丸が三の郭、北の郭を造ったという。

中城二の郭
「一の郭」にはいると、かなり広い。かつては正殿があったが、第2次大戦で焼失したという。その遺構の発掘調査、復元工事を行っていた。
いずれにしても、石組みの城壁の見事さがみどころのようだ。江戸時代末期に、黒船ペリー探検隊も訪れ、石造建築を絶賛したという。

中城一の郭
霊域で遥拝所がある「南の郭」、兵馬の訓練をしていたとされる細長い「西の郭」を経て、やっと「正門」へ。本来はここから入るのだろう。
元の道を戻ることも出来るが、城壁の外側を見るため、外周道路を少し歩いた。羽や頭が青、胴体が赤のきれいな鳩のような鳥が城壁に止まっていた。

中城正門
海を見下ろす丘に建つグスク
勝連城跡まで車を飛ばす。駐車場に入ると、また丘の上のお城。防衛上、仕方のないことだが、ここもけっこうな上りだ。海に面しているので海風が心地いいのが救いだ。

城壁で囲まれた4つの曲輪で構成され、斜面に段々畑のように曲輪がある。グスクによって「廓」「曲輪」と表記が違うらしい。
12~13世紀に建設され、15世紀半ばにはここを収めていた按司・阿麻和利が、先に見た中城の按司・護佐丸を滅ぼしたという。今は石積みの城壁と一部遺構しか残っていない。まず「四の曲輪」に入る。
この記事へのコメントはありません。