コルドバ歴史地区(スペイン)

マドリッド~ラ・マンチャ地方~コルドバ~ローマ橋~花の小道~メスキータ

赤と白のストライプの柱が林立し、イスラム教とキリスト教の礼拝堂が合体している不思議でいて、荘厳な建物があるという。中世ヨーロッパで最大級の都市だったコルドバ(Córdoba)に2015年、行ってみた。

ローマ橋(右)とコルドバの街並み

マドリッドから、ドン・キホーテで有名なラ・マンチャ地方で風車を見てから、アンダルシア地方にあるコルドバに向かった。

街に入るにはグアダルキビル川を渡る。車が通る橋の横に、白いりっぱな橋が見える。ローマ橋といい、元々はローマ時代にかかっていたアウグストゥス橋の橋げたを利用してつくられた歩行者専用の橋だという。そのローマ橋の向こうに大きな建物群。目指す「メスキータ」(Mezquita)だった。

1000年前はヨーロッパ最大級の都市

アルカサルという庭園のある元王城の横を通って、メスキータの外壁に沿ってコルドバ旧市街に入っていく。ガイドによると、コルドバはローマ時代にローマの属州の首都として人々が住んでいた。キリスト教の西ゴート王国だった711年に、北アフリカからイスラム教徒が侵入。占領した土地(アル・アンダルス)の首都になった。

756年にバグダッドのアッバース朝に追われたウマイヤ朝の王族の1人、アブデラマン1世(アブド・アッラフマーン1世)がここで即位して後ウマイヤ朝を開いた。10世紀には人口50万人とも100万人ともいわれる大都市に発展した。
当時は「600のモスク、200の公衆浴場、羊皮紙の手写本を収蔵する図書館が20、学校が50あった」(ガイド)という。
その繁栄も1236年、キリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)でイスラム教徒が追われて終止符を打つ。逃れたイスラム教徒はグラナダ王国に向かい、アルハンブラ宮殿建設に携わったという。
きれいな装飾をされたメスキータの外壁に沿って、旧市街に入った。

装飾されたメスキータの外壁

花の小道に見る街づくり

メスキータの北側に「ユダヤ人街」がある。コルドバは川運の中継地として発展しており、商業も盛んだった。ユダヤ人は経済を動かしていたため、イスラムの王に信頼を得ていたそうで、コミュニティーをつくっていた。宗教の違いはさして問題ではなかったらしい。

「花の小道」と呼ばれるユダヤ人街

アンダルシアは夏が猛暑になるため、建物は白壁、中庭を持っていて風通しをよくし、暑さをしのいでいたという。
迷路のような入り組んだ道の中で「「花の小道」と呼ばれる一角がある。白壁に、植木鉢がかけられていて、いつも花が咲いている。住民も鉢の色をそろえるなどして「街づくり」に協力している。

いよいよ、長方形の外壁に囲まれたメスキータに入る。北側にある「免罪の門」をくぐると、すぐに庭が広がっている。目に付くのがオレンジの実をつけた木。その通りに「オレンジの中庭」という。
このオレンジ、おいしそうなのだがそのままでは苦くて食べられないそう。葉を見ると、根元近くがくびれていて、ひょうたん型というか、小さい葉と大きい葉が連結しているような形をしているのが苦いオレンジの見分け方。取っても無駄なので見るだけにした。

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