
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、ヴァチカン) 広場&噴水
噴水の前にあるフランチェスコ・ボッロミーニ設計の「サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会」も、ベルニーニと同時期のバロック建築の傑作と言われている。噴水の背後に教会? 教会の前が噴水? なのかは別として、立派なバロック建築。中に入ったが、撮影は禁止だった。豪華な祭壇や装飾があるので、時間があれば目に収めてこよう。

広場の北側にあるのが「ネプチューンの噴水」。17世紀のデッラ・ポルタの作で、中央のネプチューンはどうやらタコと戦っている。海の神なのでタコと戦ってもいいのだが、やはり日本と違ってこちらではタコは悪魔の使いなのだろうか。

広場の左側を南に戻り、中ほどの路地を左に折れて進んでいく。途中に次の目的地「Pantheon」の標識もある。進むと「ロトンダ広場」、そしてその前に「パンテオン」が建っている。
すべての神をまつる1900年前の神殿
パンテオンは古代ローマの遺跡の中で最も当時の姿を残している建物。初代は紀元前25年にアウグストゥス帝をたたえて将軍アグリッパが建てた。火事で焼失後、西暦128年に再建され、それからここにずっとある。

ロトンダ広場とパンテオン
正面から見ると、柱が方形に配置されているので四角い建物の気がするが、その後ろは筒型の丸い建物になっている。

中には無料では入れた。1991年に1度来ているが、天井だけが印象に残っている。今回も中に入ってまず天井を見上げた。
天井には、高さとほぼ同じ直径43.3㍍の巨大ドーム「クーポラ」が載り、真ん中に直径9㍍の円い「窓」がある。雨が振り込んでも下の床で排水できるようにしているそうだ。密封された大きな空間の明かり採りになっている。ローマの技術力には感心させられる。

元々はすべての神をまつる神殿だったという。7世紀初頭に教会になったことで、大事にされてきた。壁の厚さは最大で6㍍もあり、壊すにも大変だからかもしれない。ドーム内側や壁面の装飾は簡素だが、建物を支えるための実用性もあったように思える。

中には皇帝や芸術家たちの墓所がある。有名なのはルネサンス期の芸術家ラファエロ。イタリア王国初代国王エマヌエーレ2世らの墓もある。ここに眠ることを選ぶ魅力がこの建物にはあるのだろう。ここまで出発して2時間少し、まだ元気だ。

ラファエロの墓と石の聖母
戦争の記録としての柱
パンテオン前のロトンダ広場でオベリスクを見て、その先を右、パスティーニ通り(V.d.Pastini)に入る。右手に古そうな建物。ただ「神殿」とあった。名前もない遺跡が街中に突然現れるのはローマならではか。何の神殿か分からないが巨大な壁を見ながら、前のピエトラ広場で少し休憩した。

広場の先の路地を左に入っていくと「コロンナ広場」(Piazza Colonna)に出る。ここには世界遺産の「マルクス・アウレリウスの記念柱」が立っている。

高さ29.6㍍で、10㍍ほどの基壇の上に立っているので、約40㍍になる。遠目にも、柱にびっしりと彫刻されているのがわかる。フォロ・ローマの横でみたトラヤヌスの記念柱と同じように、アウレリウスの行った異民族との戦争の記録をらせん状が描いているという。残すということは勝ったのだろう。
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193年に完成したとされ、その後16世紀にローマ教皇の命で修復されたそう。失われていたてっぺんの像は聖パウロ像が載せられた。
広場に面した立派な建物が「モンテチトーリオ宮」。国会議事堂になっている。通りを挟んで広場の前にはこれも古そうな建物があり、デパートになっている。
地図を見て、デパートの右側の路地を入っていく。「トレヴィの泉」方向に向かう。すぐ人だかりにぶつかる。泉の左側に出た。
やっと投げ入れられたコイン
さすがに人気の場所なのだろう。「トレヴィの泉」(Fontana di Trevi)は観光客でごった返していた。
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