
ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、ヴァチカン) 古代ローマ遺跡

正面に大きく見えるのが「セヴェルス帝の凱旋門」。203年に東方との戦勝記念に建てられた。

壁面には彫刻があり、戦いの様子が描かれているようだ。高さ23㍍、幅25㍍。この辺ではきちんと残っている遺構の1つだ。

凱旋門の左手上方に古代の遺構の上に現代の建物が建っている。「タブラリウム(公文書館)」の遺跡の上に市庁舎が建っているのだという。こうした使い道も「3000年の都」ならではなのだろう。
左には「サトゥルヌスの神殿」。円柱8本が建ち、農業の神をまつった神殿で、紀元前に建てられたローマ最古の痕跡の1つだという。この辺りの丘はカンピドーリオの丘と呼ばれる。

1991年当時はまだ修復中だった。こうして少しずつ、フォロ・ロマーノは元の姿を取り戻していくのだろう。

1991年当時修復中だったサトゥルヌスの神殿
聖なる道を引き返す。今度は右手に「フォカスの記念柱」「カエサルのバシリカ」「カエサルの神殿」などをみながら十字路にでる。左に行くとさっき入った入口(出口)なので右に曲がる。右角にあるのが「カストルとボルックスの神殿」。大きな柱が3本立っている。

左角には「ヴェスタの神殿」があり、その奥に「ヴェスタの巫女の家」がある。ヴェスタは火の神で、神殿には火がともされ、巫女が守っていたという。
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パラティーノの丘からの絶景
ここから背後の「パラティーノの丘」(Monte Palatino)に登る。名前はわからなかったが、丘の斜面にある遺跡の中を登って行くと丘の頂上へ。ここからフォロ・ロマーノを一望できる。26年前は登らなかったのが(登れたかどうか記憶にないが)惜しまれる。

丘の上は平坦で、皇帝の宮殿がつくられ、身分の高い人たちの住宅街だったという。庭園や建物の遺構を見ながらパラティーノ博物館で一服。「スタジオ」と名付けられた遺跡などを見て引き返した。

パラティーノの丘にある遺跡「スタジオ」
古代ローマについて簡単に。ガイドブックなどによると、発祥は謎。伝説としてはロムルス(Romolo)とレーモ(Remo)の兄弟が最後は争いながらもローマを築いたというのが3000年前。ローマの名前の由来になったともされる。
前509年に共和制ローマが誕生。前494年に民主的共和制となり、国家として力をもって前270年ごろにイタリア全土を収め、ローマ帝国になった。フォロ・ロマーノに名前をみられる皇帝たちの時代になる。
領土は拡大を続けたが、異民族の侵入などもあって5世紀末に西ローマ帝国が滅ぶなど衰退していった。それでも1000年以上の歴史がこの遺跡にある。

神殿、バシリカ、凱旋門…巨大建造物が連なる
さて、ヴェスタの巫女の家に下り、十字路を右に聖なる道を行く。左手の大きな神殿は「アントニウスとファウスティーナの神殿」。教会として使われていたため、保存状態がいいのだという。

変わった建物がある。「ロムルスの神殿」。マクセンティウス帝が戦争で死んだ息子をしのんで建てたという。ローマ発祥の人の名前をつけたのだろうか。円形で扉は彫刻された青銅製。建てられたままのものだという。

その隣に巨大なアーチを持った建物。「マクセンティウス帝のバシリカ」で、この辺りでは目を引く建物だ。従来の柱を使ったバシリカではなく、アーチと壁で作ったという。この人は息子の神殿といい、面白い建築発想をしたらしい。
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