
イスタンブール歴史地区(トルコ)

「キリストと女帝ゾエ夫妻」では、女帝ゾエは3度の結婚のたびに夫の顔を描きなおしたという。3番目の夫のコンスタンティヌス9世が年配に書かれているのに比べて、最初に描かれたまま残るゾエは若々しいままというアンバランス。

「聖母子と皇帝家族」も保存状態がいい。モザイク画は10~13世紀ごろに描かれたそうだが、鮮やかな色彩が残っているのはモスクになって漆喰で塗りつぶされて保護されていたからかもしれない。後世にとって何が幸いするか分からない。

小さな穴があいた柱があった。「親指を穴において、手を1回転できたら、願い事が叶います」とガイド。意外と簡単なので御利益があるかどうかは分からないが、試してみよう。
トプカプ宮殿の大ハレム
翌日は豪華な宮殿巡りになった。イスタンブールは東西文明の十字路と呼ばれ、東から、西から、人や物資が集まってきた。交通の要衝以上に、街自体にも大きな力と魅力があったからだろう。
その街を作ったのが、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国という巨大な国。オスマントルコの中でも征服王といわれ、コンスタンチノープル(イスタンブール)を征服したメフメト2世が築き、スルタンが住んでいたのが「トプカプ宮殿」(Topkapı Sarayı)。トルコ語で「大砲の門」という意味だという。
子供のころ読んだ、北杜夫氏の「怪盗ジバコ」の話の1つに、盗賊の主人公がトプカプ宮殿に忍び込む場面がある。羊肉の串焼きシシカバブ(シシケバブ)を食べるために店主と早口言葉の勝負をして1本せしめるのだが、分かります?
皇帝の門といわれる門から入る。大きな木が点在する庭を横切っていくと外廷の正門「挨拶の門」前へ。ここをくぐると宮殿内になる。

続いて「表敬の門」を通り、左手に行くとハレム、日本で言えば大奥。スルタンに仕える女性の居住区で、多いときは1000人もいたという。
うらやましいかどうかは、そんな経験がないので分からないが、江戸時代の大奥を題材にしたドラマや映画を見ると、たぶん権力争いなど面倒なことも多かっただろうと想像はつく。
正面が「幸福の門」。このあたりで式典などが行われていたという。謁見の館、図書館などあるが、最大の見どころは宝物館なので、まっすぐそこに向かった。
スプーン3本と交換した巨大ダイヤ
入場料は別料金。写真撮影はもちろん禁止。薄暗い館内では、歴代スルタンが世界中から集めたコレクションが、ライトアップされて浮かび上がっている。
「スプーン職人のダイヤモンド」は世界で7番目に大きい86カラット。原石を拾った漁師から、スプーン職人がスプーン3本と交換して譲ってもらったという話があるそうだ。
世界最大級のエメラルド3つがはめ込まれた「トプカプの短刀」。使うときには気を使うだろう。玉座に甲冑、花瓶や水差しなどにも金や宝石をこれでもかというぐらいちりばめている。絵葉書にあった。

いったいいくらぐらいの価値があるのか、想像もつかない、まさに宝の山。手にすることはできないので、目に焼き付けてこよう。

宝物ももちろんだが、宮殿内は贅を尽くしており、壁や扉も彫刻やタイルなどで飾られているので、目が休まらない。

宝物館からボスポラス海峡を一望できるテラスに行く途中に「聖遺物の間」があり、預言者ムハンマドの遺物が展示されている。有名なのは「マント」だが、つえとかひげとか、いろいろなものが集められているので、興味のある方はゆっくりどうぞ。
テラスからボスポラス海峡、金角湾、マルマラ海をながめ、吹きぬける風も心地いい。
廃材を利用した地下の大宮殿
宮殿といえばイスタンブールの地面の下には「地下宮殿」がある。王が住んでいたというものではなく、大都市の水不足に備えた貯水施設で、多数の柱で天井を支えている、いわば巨大なプールだ。
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