エルサレム旧市街(ヨルダンによる申請)

キリスト教の聖地は道と墓

嘆きの壁を離れ、キリスト教徒地区に入る。苦難の道を意味する「VIA DOLOROSA(ヴィア・ドロローサ)」がある。イエス・キリストがローマ総督のピラトの邸宅で死刑判決を受け、ゴルゴダの丘まで十字架を背負って歩いた約1.3㌔の道とされている。


出発点は判決が言い渡されたピラト邸。いまはその場所には小学校が建っている。ここが第1ステーション(留)になる。ここからイエスは十字架を背負って、ゴルゴダの丘へ歩いて行ったという。


第2留は鞭打ちの教会。ローマ兵に鞭打たれた場所とされ、教会があるというが、高い壁にプレートがはめ込まれていただけだった


イエスが十字架の重さに耐えかねて最初につまずいて倒れたところが第3留。いまはアルメニア教会になっている。


隣接して第4留。聖母マリアと会った場所とされる。マリアの教会になっていて、壁にはイエスを抱くマリアが彫刻されていた。


第5留は、シモンという人が、イエスに代わって十字架を背負わされた場所だという。

第6留は石壁に埋まったような石柱が建っている。ベロニカという女性がイエスの汗を布で拭いた場所とされる。その布はヴァチカンのサン・ピエトロ寺院に残っていて「汗の跡がイエスの顔のようだといわれます」とガイド。


第7留はイエスが2度目に倒れたところ。スークの中にある建物にプレートがあったが、教会らしい。

第8留は、石壁にⅧのプレートがあるだけだったが、ここではイエスが悲しむ娘たちを慰めた場所とされる。ギリシャ正教会になっているという。


第9留では現在の聖墳墓教会が見える場所で、ここでまた倒れたという。木の十字架が置いてあったので持ち上げてみたが、実際の十字架は「70~80㌔ぐらいあったそうです」というから、運ぶのは大変だ。

ゴルゴダの丘にある聖墳墓

第10留~第14留は、磔刑場所となったゴルゴダの丘に建てられた聖墳墓教会にある。平日だったが、信者と観光客でごった返していた。

中に入ると暗いながらも天井壁画などはわかる。祈りの訪れた人であふれており、第10留は衣服をはぎとられた場所、第11留は十字架にかけられた場所だというが、どこにあるのかよくわからなかった。

暗い上に人が多くて写真をうまく撮れなかったが、第12留は十字架を立てたという穴が残るゴルゴダの丘の岩盤で、ギリシャ正教の祭壇があるというので、たぶん岩が露出していたところのことだろうと思う。


第13留は岩板のようなものがあり、ここに十字架から降ろされたイエスが横たえられ、香油が塗られたという。多くの人が岩板に触れて祈っていた。


終点の第14留は教会内にある建物で、ここがイエスの墓(聖墳墓)とされている。大理石の石棺が収められた部屋がある。ここも大混雑だった。


この第14留は、イエスが復活する場所でもあるので、第15留ともされているそうだ。ゴルゴダというのは「しゃれこうべ」の意味だという。教会を出る途中に建物の下にある「ゴルゴダの岩」が見られるところがある。


ということで、神殿の丘にあるイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地が集まっているところを見られた。
アルメニア人地区に入り、ダビデ王が建てた「ダビデの塔」からヤッホ門を抜けて、城壁の外に出た。5時間近くかかった。

3宗教の聖地は危険か、安全か

世界遺産に登録されているのは城壁に囲まれた旧市街だが、周囲にあるオリーブ山、シオンの丘などにはイエス・キリストにまつわる多くの遺構や遺跡、伝説などが残っている。
ケデロンの谷1つ隔てて神殿の丘を望むオリーブ山。ここから見える城壁に黄金の門がある。この門はユダヤ教でメシア(救い主)が復活したときに通ることになっている門なのだそうだが、それを恐れたイスラム教徒がふさいでしまったという。


また神殿の丘に向いているオリーブ山の斜面にはユダヤ人の墓地があり、メシアが現れた際には死者もよみがって神殿の丘に向かうということから「足を神殿の丘に向けて立ち上がってすぐに向かえるように埋葬されています。逆に、神殿の丘の斜面にあるイスラム教徒の墓では足をオリーブ山に向けてすぐに応戦できるようにしています」と、墓地、死者までもが宗教問題が絡んでいる。

オリーブ山墓地(手前)と、向こう側には神殿の丘

「イスラエルに行く」というと「大丈夫?」と聞かれることが多かった。実際にいまは米国大使館の移転問題もあって、パレスチナとイスラエルの関係は悪化している。イスラエル軍がパレスチナのガザ地区で軍事行動を起こし、ガザ地区からはエルサレム市街地にロケット弾が撃ち込まれている。
パレスチナ側には戦闘に関係ない子供や医療関係者ら非武装の民間人に死者が多数出ている。こうした衝突は起こっているが、エルサレム全域にロケット弾が撃ち込まれている訳ではなく、どこででも暴動や衝突が起こっている訳ではないのも事実だ。
行く前は少し不安だったことは確かだが、3日間滞在したが、異邦人、旅行者が行くようなところ、特に聖地と言われるところでの治安は問題なかった。
夜、市内のスーパーマーケットにも行ったが、子供連れやお年寄りが買い物かごを持って品定めしている、どこにでもある日常だった。

エルサレム新市街の街角にある噴水

情勢は変わるので外務省の安全情報を確認したいが、100%安全ではないし、100%危険ではない。これは世界中、どこにでもいえることだ。

1981年登録

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