知床(日本)

羅臼~マッカウス洞窟~知床峠~ウトロ~知床五湖~オシンコシンの滝

わが郷土北海道に、世界に誇れる自然遺産がある。初めて知床に行ったのは1980年、続いて81年と40年近く前。学生時代、最初は羅臼岳を登りに行った。2度目は知床横断道路が開通したというので、卒業論文用の実験漬けの気分転換に日の出を見に夜通し車を走らせた。
世界遺産に登録された後、3度目の知床に2011年、行ってみた。

霧の知床峠を越えて

ちょうど台風が来ていた。「非常に強い」状態で北海道釧路沖を北上している。「明日は台風一過だろう」と楽観して、羅臼に泊まった。翌朝、予想通り晴れてはいるが、北東からの強烈な吹き返しの風が吹き荒れている。
とりあえず知床八景「マッカウスの洞窟」へ。ここはヒカリゴケという青緑っぽく光って見える苔が洞窟内に群生している。

保護と落石の危険のため洞窟入り口が封鎖されており、一部外からのぞけたが、あまりよく分からなくなっていた。以前はたしか中に入って見た(柵はあった)ような覚えがあるのだが、苔が減っているのだろうか。
北海道の天然記念物。説明版によると6月から10月までしか光らないそうだ。行ったのは9月だったので、光っている時期ではあったが。

気を取り直して知床峠を越えてウトロ方面へ向かった。途中から猛烈な霧になり、視界20メートルあるかどうかで、ノロノロ運転を強いられた。
着いた峠は、強風と霧で真っ白な状態。81年に記念撮影した知床峠の石碑をなんとか見つけだしたが、羅臼岳や知床の山並みはもちろん見えなかった。当時の写真を引っ張り出してみた。

知床横断道路開通まもない知床峠から羅臼岳(1981年)

80年の時は岩尾別というところに泊まって、羅臼岳山頂を目指して上った。山頂からの景色は雄大で、当然なのだが知床が半島であることがわかる。海には国後島がすぐ手の届くところに浮かんでいた。北方領土の問題が身近になったのもこの時だった。

羅臼岳山頂からの景色(1980年)

強風で遊覧船は運休

峠を後にし、ウトロへ下っているといきなり晴れてきた。知床半島の背骨の山々が風に乗っていた雨をすべて東側(羅臼側)に落としてきたのだろう。
ウトロに入る手前に知床自然センターがある(ウトロ市内にある世界遺産センターとは別)。資料がそろっているので立ち寄った。
かつては「乙女の涙」と呼んでいた知床八景「フレペの滝」への道もこのあたりからある。ウトロ市街に向けて再び走り始めると、風は強いままだが、前方には虹がかかっていた。見晴らしのいい高台からなつかしいオロンコ岩が見えてきた。

予約している知床岬への遊覧船の受付に。最近はヒグマを見られる確率が以前より高くなっているらしい。船からなら襲われないので楽しみに思っていたが、手前の観光船会社が道路に「本日強風で休航」の立て看板。
嫌な予感は的中して、予約した観光船も休航になっていた。「台風の波もあるんで、今日、明日は無理ですね」と、真っ青な空を見ながら申し訳なさそうに言われた。

山親父対策の講義を聞いて

海がだめならと、知床五湖へ。かつては小屋が1つ、ポツンとあっただけだったと記憶しているのだが、今は立派な建物フィールドハウスが建っている。
名前の通り、5つの湖があり、一湖から五湖と名付けられ、当時は出入り自由だった。高架木道が新設された今は、自由に見られる(といっても木道からだが)のは一湖だけになっている。
ヒグマ対策と植生保護のため、入場券を買って講習を受け、人数限定でしか、二~五湖をめぐる遊歩道に入れなくなっているのにはびっくりした。
少人数ならその場で講習を申し込める。平日だったのですぐに受けられたが、混む時期は11人以上なら事前に申し込む方がいい。ヒグマ活動期はガイド同行だという。
講習は「ヒグマに出合ったときの対処、出合わないための予防法」主体。最近の出没マップを見せられる。意外と多く、元々ヒグマ(山親父)のすみかに人間が入っていることを忘れてはいけない。五湖から遊歩道に入った。

湖ばかりに目を向けずに、周囲もうかがいたい。動物に会えるかもしれない。四湖ではエゾシカが遊歩道脇に座っていた。ヒグマじゃなくてよかった。五、四、三湖とさかのぼっていく。

本来なら、湖の背後には知床の山並みがみえるのだが、さすがに台風の風の影響で頂上は雲に覆われたままだった。確か三湖あたりからは知床連山がきれいに見えたのを記憶している。

湖に浮島がある。確か30年前の写真に写っていたことを思い出して、大体同じような場所から撮ってみた。

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