秦の始皇帝陵(中国)
動きのある俑が人気
発掘された俑の中で、兵士、文官など代表的なものがガラスケースに入って展示されている。跪いて弓を持つ(弓はなくなっているが)跪射俑は一番人気だ。
3号坑はさらにこじんまりしている。1、2号坑の後ろにあることから、軍を統率する司令部のようなものを表現していらしい。
坑道の兵士は壁を背にして内側を見るように両側に配置されている。始皇帝なり、指揮官が通るところを迎えているか、左右で警護している様子を表しているという。
首のない俑が多く「修復中だと思います」とガイドはいった。始皇帝時代の軍の編成を生き生きと正確に表しているところが、兵馬俑坑のすごさなのだろう。
発掘された俑の修理の様子
兵馬俑1号坑には「病院」もあった。壊れて発掘された俑を修理している場所があり、その様子を見ながら通る。
松葉杖をついているとしかみえない兵士、包帯のようにビニールで巻かれた兵士、戦場で傷を負ったようで、こっちの方はさらにリアルに感じた。
土に押しつぶされた俑に「無傷なのはほとんどない」(ガイド)そう。掘り出された壊れた俑をここで丁寧に組み立てる。たぶん、修理が終わったものが元の坑道に戻される。1号坑に並んでいた兵士はきれいだった。
始皇帝陵のシンボル「銅車馬」
修復された中のもっとも貴重なものは、2台の青銅製の銅車馬だという。兵馬俑坑ではなく、始皇帝陵のすぐ横から発掘された。そのときの写真が飾られていた。
組み立てられた銅車馬が提示されている棟に入ると真っ暗。実物の2分の1のスケールだという。2台とも4頭の馬が引いている。始皇帝陵のシンボル的な存在だという。
1号車は傘が高い車をつなげており、2号車は輿のようになっていて屋根が傘のように広がっている。1号車は夏、2号車は冬の仕様に見えた。御者は1号車は立ち、2号車では座っている。
細かい表情、手つきまで再現されている。暗すぎる上にガラスケースに入っているので、フラッシュ撮影できず、写真のできにはご容赦を。
兵馬俑坑からシャトルバスで20分ほどのところに、始皇帝陵がある。なだらかな稜線の小高い丘という感じ。もともとはピラミッド型をしていたという。
未発掘の始皇帝陵
兵馬俑の軍隊にはペルシャ系の兵士の顔もあるという。エジプトのピラミッドのことを、始皇帝は知っていたのかもしれない。
始皇帝陵の周りに陪陵(付属する陵)や陪葬墓が点在している。ガイドブックによると、陪陵はたくさんあり、強制的なものも含めておびただしい殉死者が葬られている。
陵には馬を中心とした動物の骨、銅車馬のような青銅製のものを中心に鏡、武器、冠、生活用品など副葬品が収められている。兵士以外の人々の俑も多数でている。
始皇帝陵は発掘されていない。「地下に宮殿を造ったといわれています。今の技術ではそのままの状態で掘り出すことができない。もう少し技術が上がってからやると思います」とガイドは説明した。
史料などによると、始皇帝陵は黄金や宝石で飾られた建物や、水銀の川などがあり、永久に明かりがともっており、豪華な副葬品があるという。最近の調査では、盗掘はなく、水銀反応もあることから、存在の信憑性が高くなっている。
秦の始皇帝は紀元前221年に中国を統一。同210年に50歳で死去し、同206年に秦は崩壊した。中国統一前から墓の建設を始め、約70万人を動員し、30余年かけて紀元前208年に完成した。秘密を守るため生き埋めにされた工人は万を超えたという。
兵馬俑坑博物館の土産品店で、原寸大の兵馬俑も売っているが、土産には大きすぎる。博物館公認の小さな兵馬俑をお土産に。「いろいろなところで売っていますが、兵馬俑と同じこのあたりの土を使って焼き、台座に『秦俑博物館』とあるのが本物です」とガイド。買いたい人は台座の確認を。
その一角に長蛇の列。ガイドによると、第1発見者の楊志発さんが観光客の買ったガイドブックにサインをしているという。
「前は字が書けなかったけどだいぶうまくなったみたいです。いまはボランティアでサインしています」。ただ楊志発さんは何人もいるようなので、ご本人かどうかは分からない。
1987年登録
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