マチュピチュの歴史保護区(ペルー)
荘厳な「失われた街」
マチュピチュ遺跡を見渡せる見張り小屋から、アンデネス(段々畑)のあぜ道(?)を下ると、街へ入る唯一の門にでる。くぐると、いよいよ「失われた街」だ。
遺跡はマチュピチュとワイナピチュを結ぶ尾根に築かれている。大きく2つに分かれ、アンデネスが広がる農業区域と、インカの石組みでつくられた市街区域。緩やかな斜面につくられた市街区域も2つに大別され、上段は神殿などが多い儀式用の区域と、下段は建物が密集する居住区域になっている。
門が1つしかないこともあって、見学の順路はほぼ一方通行。上段をワイナピチュの方へ向かい、ワイナピチュ登山口から折り返して下段の居住区域をマチュピチュ方向へ。アンデネスに突き当たり、水路の脇を少し上ると、入場口付近に出る。
まずは、儀式用の区域を巡る。バス待ちでマチュピチュ村を散歩した時に観光案内所でもらった地図に大雑把ながら代表的な場所に印を入れてみた。
まず「石切り場」という、花崗岩がゴロゴロ露出した一角に出る。建物や壁に使われている石は、元々ここにあった石を使ってつくられたという。花崗岩よりも硬い石を使って砕き、削り、研磨して石組みにしていった。
石切り場を過ぎると「ミニ植物園」がある。マチュピチュは遺跡だけではなく、周囲の自然環境も含めた複合遺産。300種を超える蘭をはじめ多様な動植物が生息している。「エンゼルトランペット」という絶妙な名前がついた白い花が印象に残った。
石で築かれた数々の神殿
植物園の先が「聖なる広場」。天体観測を行ったという「三つの窓の神殿」「神官の館」と「主神殿」が広場を囲んでいる。
「建物の名前は遺跡発見後につけられたものなので、当時の名前ではありません」とガイド。なので、本当にそうした目的のものだったのかどうかは分からない。三つの窓の神殿は東を向いており、太陽の観測に使ったと考えられている。
主神殿は、他の建物以上に精巧な石組みで作られている。インカ帝国の都クスコでも同様の石組みが有名で「剃刀の刃も入らない」と形容されている。ここでもピッタリに収まった石を見事に組み上げている。
こうした精巧な石組みを作るときは、角を壊さないように「氷をはさんで組んで、溶けると自然とピッタリに合わさるようにしたと考えられている」という。頑丈なことでも有名だが、主神殿の石組みの一部が崩れかけている。
一日3000人の入場制限の理由
「この尾根の真下に断層があり、地震による地盤沈下でずれたようです。また、観光客が増えたことで、いまも遺跡が少しずつずれているそうで、1日3000人の入場制限もそのためです。将来は遺跡内には入れなくなり、先ほどの見張り小屋から見下ろすだけになるかもしれません」。
見るなら早めに来たほうがよさそうだ。すでに一部の建物は入場できなくなっている。
主神殿から先に進むと、「エコーの部屋」。壁に台形の穴がうがたれている。こうした穴はいろいろなところにあるが、かつてはここに黄金の像などが飾られていたらしい。
この部屋では、穴に顔を突っ込み、低音で「ウーーー」とうなると、部屋全体に増幅されて響き渡る。穴に顔を入れて声を出す役割だったので、どれだけ響いていたのかは分からないが、聞いていた人からは、驚きのうなり声が聞こえた。
階段を上って、儀式区域で一番高いところに出る。ここにあるのが「インティワタナ(太陽をつなぎとめる場所)」。祭壇のように削られた石の上に、40~50㌢ほどの角柱が突き出している。
太陽神崇拝の儀式の場
日時計とも言われているが、何に使われたかは分かっていない。この祭壇は、切り出して置いたものではなく、ここに突き出ていた自然の岩を削って作られたといい「大地のエネルギーを集めている」とされる。遺跡の中でももっとも重要な場所らしい。
インカ帝国は太陽神を崇拝していた。この遺跡は、マチュピチュが南、ワイナピチュが北にあり、周囲の山にも邪魔されず太陽を観測をしやすい場所。太陽神信仰に都合がいいため宗教施設だったとされる。
征服者スペイン人に対する砦だったという説もあったが、いまは「宗教都市説」が強い。インカ道を通じてクスコや他のインカの重要施設に通じているため、太陽神の子である皇帝の特別な施設だったらしい。
16世紀には廃墟になったとされ、スペイン人にも見つからず、インカは文字を持たなかったため記録がなく、なぜここに作られたかは謎のままだ。
リャマが遊んでいるアンデネスを下っていくと、ワイナピチュへの登山口がある広場に。間近に迫る山はかなりの急坂だが、1時間ほどで上れるらしい。
入山制限があり、6時と10時の2回、先着200人というので、私は時間が合わなかったが、時間に余裕がある方は朝から並んでみては。山頂にはアンデネスが見える。「太陽に供えるための作物を栽培していた」という。
ワイナピチュの裏側には「月の神殿」があるという。また、このあたりで産出しない多くの石が置かれており「地方の石を運んできて供えたといわれています」という。やはり、信仰の都市だったのだろうか。
ワイナピチュ登山口の手前には「聖なる岩」がある。高さ3㍍、幅7㍍で、山型になっている。霧で見えなかったが、石越しに見えるアンデスの山の形と同じように作られているという。
「山の民」といわれていたインカの人たちの山への崇拝を示している。
ここからマチュピチュ方向(入口方向)に戻りながら、居住区域に入る。石積みの壁で四方、三方が囲われているものと、うち2つの壁が屋根をかたどるように三角形になっているものとが混在したり、棟続きになっていたり、とにかく「家」がたくさんある。
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