古都奈良の文化財(日本) 東大寺
東大寺南大門~大仏殿~二月堂
春を告げる風物詩に「東大寺のお水取り」がある。必ずと言っていいほど、ニュースになる。一度は見てみたいと思って2009年、行ってみた。
奈良は、京都と並んで修学旅行でも行く場所。1976年に初めて行ってから、観光として3回、足を踏み入れているが、東大寺は修学旅行以来だった。奈良駅からバスで向かった。
夜のお水取りを見る前に、せっかくなので久しぶりに大仏殿は見ておこうと思って、少し早めに着いた。33年前の記憶は定かではないが、バスを降りるとしゃれた建物の店がたくさんある。
こんなににぎやかだっただろうかと思いながら歩いていくと「南大門」につく。
南大門といえば「仁王像」。これも以前と変わりなく、鎮座しているのは当たり前か。思っていたより白っぽい気がした。約8mの金剛力士像「阿形」「吽形」が、向かい合って我々を見下ろしている。
この仁王像は鎌倉時代の1203年に完成したといい、作ったのは仏像などの彫刻で知られる「慶派」。阿形が運慶、快慶、吽形が定覚、湛慶によってつくられたと伝えられている。
大仏殿の大きさにはやっぱり驚かされる
南大門をくぐると、やはり行く手には鹿の群れ。せんべいは持っていないのだが、1頭が近づいてきてコートをつつきだすと、たくさんが寄ってくる。「ごめん、持っていない」というのだが、伝わらない。持っている人が来てくれて、そっちに行ってくれた隙をついて「大仏殿」に急ぐ。
左手に「東大寺ミュージアム」。以前はなかった。右手に「鏡池」が見えると、大仏殿の中門はすぐ。入口は大仏殿を囲む回廊に沿って左手にある。
中に入る。さすがに世界最大級の木造建築。久しぶりに見るとやはりでかい。幅7間(約57メートル)だが、創建時は11間(約86メートル)あったという。
高さは約49メートル。1棟だけ独立して立っているので、大きさを比較できないが、圧倒される大きさなのは確かだ。
東大寺は歴史の授業でも習うので詳細は他に譲るが、公式HPやガイドブックから簡単に。奈良時代の741年、聖武天皇が国家安泰のため国分寺・国分尼寺建立の詔を発し、この地にあった金鍾山寺が東大寺の前身になったとされ、総国分寺とされた。
743年(天平15年)に「大仏造顕の詔」が発せられ、巨大な金銅製の「盧舎那仏」をつくり、752年に完成した。
東大寺といえば大仏殿だが、1180年に平重衝(平清盛の五男)、1567年に三好・松永の乱によって2度、大仏殿ほか多くの建物が焼失している。現在の大仏殿は江戸時代、元禄のころに再建された。
大仏殿の中に入る。通称大仏さま、盧舎那仏が鎮座する。久しぶりに対面した。
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