原爆ドーム(日本)

広島駅~広島電鉄原爆ドーム前

太平洋戦争、第2次世界大戦から4分の3世紀、75年以上を経過した。日本にただ1つ、世界遺産の中でも「負の遺産」と呼ばれるのが、原爆ドームだ。

最初に行ったのは学生時代。その後、何度もドームの姿を見たが、いつ見ても「すさまじい建物」だと思う。あらためて2013年、行ってみた。

広島駅から広島電鉄の路面電車に乗る。かつては日本のちょっとした都市ではよく見かけた路面電車だが、いまは車の普及や地下鉄、バスへの転換で少なくなってきている。広島はまだ元気だ。頻繁に電車が出入りしている。

最初に行った三十数年前はそんな電停があった記憶はないのだが「原爆ドーム前」で降りた。

新聞社でプロ野球の巨人を担当していた頃、年に4,5回は広島に来ていた。球場は移転したが、そのころあった「広島市民球場」が、原爆ドームのある広島平和記念公園と道を隔てて隣り合っていた。よく原爆ドームを見た、というよりは「見えた」と言うほうが正しい。

目で確かめられる原爆のすさまじさ

「世界遺産」という目で見るのは初めて。あらためて建物を見ると、以前よりもきれいになっているような気がした。保存の方法が進歩したのだろうか。

最初に見たときは全体に黒っぽい印象で「原爆で焼け焦げた」と思っていた。もちろんコンクリートや鉄骨がむき出しになっていて、原爆の悲惨さの「実態」を今に伝えている。

HPやガイドブックによると、原爆ドームの元の建物は1915年(大正4)に完成した。広島県内の物産品の展示・販売をするため、チェコ人のヤン・レッツェル氏の設計でつくられた「広島県物産陳列館」として造られた。1933年(昭和8)に改称され、原爆投下時は「広島県産業奨励館」という建物だった。

第2次世界大戦末期の1945年(昭和20)8月6日午前8時15分、米爆撃機「エノラ・ゲイ」が原子爆弾を投下、世界で初めて兵器として使用した。ドームのほぼ真上、上空約600メートルで爆発。数千度の熱線と衝撃波を伴う爆風で広島市を破壊した。

原爆ドーム周辺の建物はほぼ全壊したが、この建物だけは全壊を免れた。衝撃波が真上から来たこと、銅板の楕円形ドーム(長軸約11メートル、短軸約8メートル、高さ4メートル)のドームの屋根や、建物全体の窓ガラスが瞬時になくなったため、熱戦や爆風が通り抜けやすかったからと言われている。

ただ、中にいた職員30人は死亡。のちにその姿から「原爆ドーム」と呼ばれるようになった。廃墟の中に奇跡的に立つこのドームを、当時の人たちはどんな気持ちで見たのだろうか。

原爆被害など詳しくは、平和記念公園内にある「平和記念資料館」に足を伸ばして、当時の様子を知ることが、世界で唯一の被爆国の国民としては大切なのだと思う。

遠目に見ても分かる原爆の傷跡

原爆ドーム内には立ち入れないので、柵の外側から外観を見る。全体を覆っていたと思われるレンガもかなり残っている。熱線でやられたのか、ところどころひしゃげたり溶けたようになっている。

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