ホワイトシティ(イスラエル)

エルサレム~テルアビブ

テルアビブ(Tel Aviv)というと、60歳以上の人は「テルアビブ空港乱射事件」で初めて名前を知ったという方も多いだろうか。

私もその1人。1972年5月30日にテルアビブ近郊のロッド国際空港(現ベン・グリオン国際空港)で、日本の赤軍派3人が実行したテロ事件で、26人が犠牲になった。

イスラエル入国では、この空港に降りてエルサレムに入ったが、ちょっと昔の話が頭をかすめた。この街に、1900年代前半の白い建物が立ち並んでいる「ホワイトシティ」がある。2018年、行ってみた。

ドイツのバウハウスで学んだ人たちの建築

エルサレムからツアーバスで高速道路を1時間ほどでテルアビブに着く。ちなみに、イスラエルの首都は決まっていない。イスラエル側はエルサレムと主張しているが、パレスチナ問題もあり、各国はテルアビブに大使館などを置いて、国際社会に首都相当と認められている。

「ロスチャイルド通(Rothchild Biv)」という、広い通りで道の真ん中が公園になっているところで降りた。世界的に有名なユダヤ人実業家のロスチャイルド家の名前がついていて、テルアビブでも古い通りだという。

この周辺がホワイトシティになっている。といっても、建物が立ち並んでいるだけで「?」の気分。騎馬像があったが、初代市長メイア・ディゼンゴフの像だという。

ロスチャイルド通にある初代市長メイア・ディゼンゴフの像

「このあたりにホワイトシティの建物がたくさんあります。あの角の大きな建物もそうです」とガイド。確かに、白っぽい建物が多いのは分かる。

ホワイトシティには1920年ごろから1950年ごろまでに建てられた「白い家」が集まっている。ドイツで「バウハウス(Bauhaus)」という美術、建築の学校で学んだ人たちがイスラエルに移ってきて、この場所に地中海性気候にあった家を建てた。ドイツではバウハウス関連遺産が世界遺産登録されている。

バウハウスの詳細は他に譲るが、テルアビブではバウハウス様式と呼ばれているそうで「世界中でこれほどバウハウスの建築がある場所は類を見ない」(ガイド)といい、最盛期は4000軒が建っていたそうだ。今でも修復しながら2500軒ほどが残っており、保護の対象になっているのも1500軒ほどあるという。

「この2つの家もそうです」と、ロスチャイルド通に面した2軒の家を示した。「A-18」という表示板が壁にはめ込まれた家は「建築家の間では称賛されている」という。中を見られないのが残念だが、外側だけで特徴があるのだろう。

その隣の家は「A―20」と表示板があった。これも、外側からではよく分からない。どこにでもありそうな家に見えてしまう。

こうした白い家は、特別に造られたわけではない。当時、このあたりで住むところがなかった移民のために、バウハウスで学んだ人たちが造った家なので、見た目には「普通の」家だ。

住むために造られた「白い家」

「バウハウスの特徴は、建物の角が丸い、強い日差しを入れないように窓が小さい、海側(西側)にバルコニーをつけている、そして、白い色です。探してみてください」とガイド。1948年5月14日に独立宣言書を書いた「独立記念ホール」という建物のところで自由散策になった。

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