古都京都の文化財(日本) 西本願寺(洛中)

京都駅~徒歩(堀川通)~西本願寺

京都市の中心部・洛中には登録世界遺産が2つある。その1つ「西本願寺」は京都駅から徒歩でも15分ぐらいで行ける。古都京都の文化財、毎年のようにどこかで修復が行われている。西本願寺の国宝「唐門」が修復工事に入る(2018年6月~2022年3月予定)と聞いて、その前に見ておこうと工事直前の2018年、行ってみた。

京都駅から左に歩き、堀川通(国道1号線)を右に折れる。ぶらぶら歩いていくと、築地塀が左手に。中は西本願寺になる。沿って歩いていくと、立派な門。「御影堂門」という。ここから中に入る。

巨大な木造建築が目の前に

正式には「龍谷山 本願寺」で、後述するが「西本願寺」と呼ばれ「お西さん」の愛称もある。浄土真宗本願寺派の総本山になっている

門を入ると、ドーンと大きな建物がある。「御影(ごえい)堂」という1636年に建てられた世界最大級の木造建築だという。

東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。227本の柱で約11万5000枚の瓦を敷いた屋根を支える。名前通り、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人(しょうにん)の御影(木像)が安置されている堂になる。

まず、境内を見て回った。特別拝観以外は境内の散策は無料。御影堂と渡り廊下でつながって「阿弥陀堂」がある。こちらも大きい。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。本願寺の本堂に当たり、阿弥陀如来が安置されている。

2つの建物の前には「手水舎」という手を清める建物があり、阿弥陀堂の前を通り過ぎると、「経蔵」がある。江戸時代初期に天海僧正が新しく出した大蔵経(一切経)を買ってきたという。天海僧正というと、明智光秀と同一人物という説もある、徳川家康の側近の僧だ。

経蔵(手前)と太鼓楼(右)

経蔵の右手後方、西本願寺の北東角に「太鼓楼」。中に大きな太鼓があって、時を知らせたという。

本願寺に東西があるのは

置いてあったパンフレットやHPから、西本願寺の成り立ちを簡単に。鎌倉時代中期に親鸞聖人が、法然聖人(浄土宗開祖)の導きで「南無阿弥陀仏」の念仏に帰依する教え「浄土真宗」を開いた。死後に娘の覚信女や門弟によって京都東山の大谷に廟を築き、本願寺となった。

中興の祖と言われる第8代蓮如上人の時に教えが広まり、戦国時代に織田信長とも戦った第11代顕如上人の時に現在の地に移った。顕如上人の死後、長男・教如上人が継いだが、三男の准如上人への譲状があった。教如上人は隠退し、徳川家康から寄進された京都・烏丸七条に堂を建立、本願寺が東西に分かれた。そちらを東本願寺と呼ぶ。

御影堂(手前)と阿弥陀堂(奥)

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