マラケシュ旧市街(モロッコ)

モロッコ伝統の中庭付きの家を「リアド」という。中庭にある仕事場だったという一角に。こちらは中庭を囲んで執務室があり、待合室も3つある。

「ベルベル人、ユダヤ人、アラブ人に分けて待ってもらったので、それぞれの部屋の装飾が違っています」という。

屋根にはヒマラヤ杉、壁の漆喰は石灰と卵を使っている。床がタイル張りと、待たせる側の心遣いだろうか。とにかく装飾が美しい。

「あべこべの船」という、船底型の天井があるのが応接室と会議室。「2重天井にしてあります。夏は48度から52度ぐらいになるので、風を通して熱を入れない自然のエアコンの役割です」という。

室内の色は茶色が多い。ヘナを使っているそうで、緑はミント、黄色はサフランなど自然素材で彩色している。

大きな中庭に出る。宮殿の中心だといい、噴水のある中庭の周囲には4人の妻の部屋がある。

一夫多妻だった当時「宮殿の名前にもなっている3人目の妻バヒアが一番いい部屋をもらったそうです」という。バヒアの部屋はやはり船底天井で、壁は漆喰、床は大理石でできていた。

妻をたくさんもらう場合は、全員に平等に接しないといけないというルールがあるというが、やはり差はあったのだろうか。

いずれにしろ、妻たちの部屋の装飾が凝っているが、ほかに24人の妾がいたというから、行政のために使った宮殿というよりはハーレムといっていいだろう。それが当時の権力者にとっては普通だったのかもしれないが。

大道芸人が集まる広場

マラケシュはこの街を最初に都市化したベルベル人の言葉で「神の国」の意味だという。いまは「大道芸人の天国」かもしれない。

「ジャマ・エル・フナ広場(Palace Djemaa el Fna)」という。マラケシュを紹介するときは必ず出てくる広場に夕方、行ってみた。

とにかく広い。石畳のようになっている。ガイドが「まず上から見ましょう」と、広場を囲む建物の一角、飲食店に入った。2階のテラス席から広場を見渡す。

同じく外国人観光客がお茶やビールを飲みながら、ただ広場に目をやっている。どことはなしに見ているのだが、広場のいろいろなところでいろいろなことが起きていて、見ていて飽きない。

ガイドから注意があった。「スークの中に入ると自分がどこにいるかわからなくなります。これから日が暮れてきますが、街灯などはほとんどありません。自分で目印をつけて歩いてください。迷ったら、たぶん戻れません」。

けっこうな脅し文句ではあるが、スークの中に入らないことにはこの広場のことがわからないだろうと、ちょっと緊張しながら広場に出た。

この広場は昼と夜ではまったく様相が変わるという。昼間は大道芸人が広場のいたるところで自分の芸を見せて、観客からチップをもらっている。

日が傾いてくると、テントや屋台が店を開き始め、主に飲食店が広場いっぱいに広がるというので、先に大道芸を見ておこうと、広場を歩き回った。

「写真を撮るとチップを要求されることがある」というので、なるべく正面からは撮らずにいた。すごい人だかりがあったのでのぞいてみたが、音楽を演奏しながらなにか芸をやっているらしい。人が多すぎてよく見えなかった。

広場全体に大道芸人たちは散らばって、それぞれの芸を披露している。ヘビ使いももちろんいた。コブラを使っていたが、周りに人が来なかったのでまだ「芸」をしていなかったから、何をするのかはわからなかった。

広場の名前は「死者たちの広場」という意味があるそうで、昔は公開処刑などが行われたという。今はそんな暗さはまったくない。

迷路スークに挑戦

広場をひと回りして、スークに挑戦した。

ベン・ヨーセフ・モスクとクッバ・バアディンという2つの建物を見たいと思い、スークの地図をしっかりと見ながら歩き始めた・・・のだが、目印になる最初の建物はわかったが、肝心の通りが見つからない。

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