マラケシュ旧市街(モロッコ)

モロッコはイスラム教の国だが、信仰の自由は認められている。たぶん、昔からそうなのだろう。いまもユダヤ人が住んでいるそうで「1階が店、2階が住居になっている」と、2階がせり出した独特の造りをしている。

バヒア宮殿は、旧市街にいくつか残る宮殿の1つだが、王宮ではなく、19世紀にアラウィー朝の宰相の私邸として造られた比較的新しい建物。「行政のために使われてきた」(ガイド)という。

入口の門から、精緻な透かし彫りに幾何学模様のタイルという装飾が見事。中の豪華さがうかがえる。中に入るまでの道にはたくさんの木が植えられている。砂漠の民だっただけに、緑が一番貴重なものなのだろう。

モロッコ伝統の中庭付きの家を「リアド」という。中庭にある仕事場だったという一角に。こちらは中庭を囲んで執務室があり、待合室も3つある。

「ベルベル人、ユダヤ人、アラブ人に分けて待ってもらったので、それぞれの部屋の装飾が違っています」という。

屋根にはヒマラヤ杉、壁の漆喰は石灰と卵を使っている。床がタイル張りと、待たせる側の心遣いだろうか。とにかく装飾が美しい。

「あべこべの船」という、船底型の天井があるのが応接室と会議室。「2重天井にしてあります。夏は48度から52度ぐらいになるので、風を通して熱を入れない自然のエアコンの役割です」という。

室内の色は茶色が多い。ヘナを使っているそうで、緑はミント、黄色はサフランなど自然素材で彩色している。

大きな中庭に出る。宮殿の中心だといい、噴水のある中庭の周囲には4人の妻の部屋がある。

一夫多妻だった当時「宮殿の名前にもなっている3人目の妻バヒアが一番いい部屋をもらったそうです」という。バヒアの部屋はやはり船底天井で、壁は漆喰、床は大理石でできていた。

妻をたくさんもらう場合は、全員に平等に接しないといけないというルールがあるというが、やはり差はあったのだろうか。

いずれにしろ、妻たちの部屋の装飾が凝っているが、ほかに24人の妾がいたというから、行政のために使った宮殿というよりはハーレムといっていいだろう。それが当時の権力者にとっては普通だったのかもしれないが。

大道芸人が集まる広場

マラケシュはこの街を最初に都市化したベルベル人の言葉で「神の国」の意味だという。いまは「大道芸人の天国」かもしれない。

「ジャマ・エル・フナ広場(Palace Djemaa el Fna)」という。マラケシュを紹介するときは必ず出てくる広場に夕方、行ってみた。

とにかく広い。石畳のようになっている。ガイドが「まず上から見ましょう」と、広場を囲む建物の一角、飲食店に入った。2階のテラス席から広場を見渡す。

同じく外国人観光客がお茶やビールを飲みながら、ただ広場に目をやっている。どことはなしに見ているのだが、広場のいろいろなところでいろいろなことが起きていて、見ていて飽きない。

ガイドから注意があった。「スークの中に入ると自分がどこにいるかわからなくなります。これから日が暮れてきますが、街灯などはほとんどありません。自分で目印をつけて歩いてください。迷ったら、たぶん戻れません」。

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