クスコ旧市街(ペルー)

「14角の石も見つかっています」と、近くでガイドが指さした石組みには、確かに14角形の石がはめ込まれていた。探せばもっとでてくるかもしれない。

インカの都は地震にたびたび襲われており、先に見たラ・コンパーニア・デ・ヘスス教会も一度崩壊しているが、現在まで残っているインカの石組みはまず崩れないという。街を歩いていると突然石組みの遺跡に出くわす。

当時のものかどうかは分からないが、民家もインカの石組みを利用しているようにもみえる。

ただ積むのではなく、削ってかみ合わせたり、接触面の角度を変えたりして、地震対策もしていたというから、インカの石組みは奥が深そうだ。

インカの中心に立つ神殿

古い街並みの通りを通って、次に向かったのが「サント・ドミンゴ教会(Iglesia De Santo Domingo)」。ここは「コリカンチャ(Qorikancha)」という、インカ最大の太陽神殿があった場所に建てられた。

「クスコ」というのはインカの言葉ケチュア語で「ヘソ」を意味し、世界の中心と考えられていた。太陽信仰のインカにとっては、もっとも聖なる場所が太陽神殿になる。

いまは神殿の大部分は破壊されて、その上に教会が建てられたが、面影をとどめている場所もある。

教会に入る。内部は庭を囲むように四角い廻廊で結ばれている。壁面に絵が描かれていたが、絵単体での撮影は禁止だった。

その廻廊の1面に、インカの石組みで囲まれた、台形の入り口がある。太陽神殿(だったところ)への入り口だ。

中に入ると、丁寧に長方形に削られ、磨かれた石が整然と積み上げられた壁がある。ところどころに穴がうがたれている。かつてはこの神殿中が黄金で飾られていたという。

教会のガイドによると「コリは黄金、カンチャは場所と言う意味です」といい、ここにあった黄金はスペイン人が全部はぎ取った。「現在の価値で約60兆円分といわれています」というから驚きの額だ。

クスコの太陽神殿だけでその価値だったら、インカ全土から黄金をほとんど持ち去った16世紀当時のスペインの財政力は相当だったと想像がつく。とても返還できる額ではなさそうだ。

外側に回った。重かった体も少しずつ動くようになっている。頭痛などの高山病の症状もまだ出ていない。体が順応してきたと思いたい。

外の壁にも太陽神殿の一部が残されている。「壊せるところは壊し、壊せないところは残したようです」という。

この教会も地震で崩壊しているが、土台に使った太陽神殿の「名残」の石組みはまったく崩れなかったという。天然の巨石をもたくみに組み込んだインカの技術の「プライド」だろうか。

クスコを後にして、マチュピチュ方面に向かうツアーバスの車窓から、巨大な石組みの遺跡が見えた。サクサイワマン遺跡という。「インカの砦だったところで、スペインとの戦いがありました」とガイド。かなり長い石積みなので、城壁のようなものだろうか。

峠を上っていたので、上から見えた。城壁は3段になっている。周りの人を比べると、かなり巨大な石を使っているのが分かる。征服という悲劇を今に伝えているのも、こうした石組みということなのだろう。

毎年冬至の6月24日に、ここで「インティ・ライミ(Inti Raymi)」という祭が催される。現地ケチュア語で「太陽(インティ)の祭」を意味する。征服したスペイン人とカトリック教会によって禁止された祭を、復活させたものだという。

 

1983年登録

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