
デルフィ(ギリシャ)
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さらに進むと「アテネの列柱館(柱廊)」。今は柱が3本立っているだけだが、紀元前548年ごろに建てられたときは、7本の柱で柱廊になっていたらしい。当時の海戦に勝利して奉納したのだという。

その上に、大きな柱が見える。「アポロン神殿」がすぐ上に見えている。道を進んで、今度は左に大きくカーブすると、巨大な柱が並ぶアポロン神殿に着く。

紀元前4世紀に、地震で崩壊した古神殿の跡に建てられたという。今は土台と柱しか残っていないが、ここが「アポロンの神託」が行われた場所だ。今はピティアをトランス状態にした蒸気は出ていない。

柱は全部で正面に6本、側面は15本あったという。内部は豪華な壁画で飾られ、外壁にも彫刻が施されていた。東側の破風にはアポロン、アルテミス兄妹の物語、西側破風には神々と巨人族の戦いの場面が描かれていたそうだ。

紀元前4~3世紀に起こった何度かの神聖戦争などを経て、紀元前2世紀に古代ローマの支配を受けることになる。その後、ローマ皇帝のネロやコンスタンティヌスらが多くの奉納品を持ち去り、衰退をたどった。もう神託を受ける必要がなくなったということだろうか。

芸能とスポーツも奉納されていた
デルフィが隆盛だったのは、神託だけではなかった。アポロン神殿を見下ろすように「劇場」がある。紀元前582年に始まった「ピティア祭」では、スポーツ競技のほかにアポロンに奉納する音楽のコンテストや演劇などが行われた。紀元前159年に造られた5000人収容の大劇場だった。

その後のローマの劇場などのモデルになったという。劇場の上から見下ろすと、アポロン神殿の景色がいい。

劇場から先、坂を上って7、8分行ったところにあるのが「競技場(スタディオン)」。スタンドもあるしっかりした競技場だ。

すでに始まっていたオリンピアでの古代オリンピック同様の、陸上や戦車競技などが4年に1度の「ピテュア祭」で、アポロンに奉納されていた。先に紹介した「御者像」の主も、ここで優勝したのだろうか。

今は雑草が茂っていて、中には入れなかったので、オリンピアのように走ることはできなかった。地面にある石の線はスタートラインだろうか。反対方向を見ると、入場ゲートらしきものもあるので、こちらはゴールラインだろうか。

デルフィにあるのはハードもソフトも全てアポロンに捧げるもの。こうした博物館兼娯楽施設があったのも、デルフィの魅力だったのだろう。
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