リマ歴史地区(ペルー)
ここから旧市街の中心「アルマス広場(Plaza de Armas」に向かって歩く。途中に、黄色い壁を持った古そうな建物の前にでた。
「デサンパラードス駅(Desamparados Station)」だった。「150年ぐらい前の鉄道駅で、アンデスに行く鉱山鉄道の拠点でした」という。こちらはスペインの植民地によくあるコロニアル様式の建物だ。今はほとんど使用されておらず「博物館みたいになっている」とガイド。閉まっていたようで、中には入らなかった。
主要な建物が取り囲む広場
アルマス広場に出る。周りをリマの主要な建物が取り囲んでいる。
インカ帝国を滅ぼしたスペインのフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)が、植民地支配の拠点として、海に面したこの街を1535年に建設を始めた。元々は先住民の宗教都市で、市内を流れるリマック川が街の名前の由来になったという。
アルマス広場でひときわ目立つのが東側の「カテドラル(La Catedral de Lima)」。街の建設と同じく1535年にピサロが礎石を置いた。
1745年の地震で壊れたが後に再建し、現在のような姿になっている。「中央の彫刻の部分は作られたときからのオリジナルです」というので、完全に壊れたわけではないらしい。中にはピサロの遺体が安置されている。
広場の北側には「大統領府(大統領官邸)」。1938年に完成し、元々はピサロの邸宅だったところにある。
ちょうど、衛兵の交代の時間で、格子の扉の隙間から赤と白の制服を着た衛兵が見られた。公邸人質事件の際、当時のフジモリ大統領はここから指示を出していたのだろう。報道陣もこのあたりにたくさんいたのだろうか。
西側に目を移すとリマ市庁舎。こちらは新しい建物で「広場に面する建物なので、昔の外観にしています。黄色いのは、幸運の色をされているからです」とガイド。
屋上には向かって左に黄色いリマの市旗があるが、右にある七色の旗は確かクスコの市旗では?「クスコの旗ですが、インカの旗でもあるんです」という。広場をはさんで向かい側が征服者ピサロのカテドラル。プライドを感じた。
広場の真ん中に噴水がある。周りのベンチでは市民がくつろいでいる。「ペルーのお酒のピスコ(ブドウの蒸留酒)のメーカーが、PRのために独立記念日にこの噴水の水を全部ピスコに入れ替えたことがあります」。
飲み放題だったらしい。そんなときに来てみたかった。
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