アラブ・ノルマン様式のパレルモと、チェファル、モンレアーレの大聖堂(イタリア)


門を通過すると、すぐ「カテドラーレ(大聖堂、Cattedrale)」が見える。こちらも、ファサードの一部を見られた。1184年に建てられ、何度も改築されてきた。見えたファサードは14~15世紀に造られた。ここは早朝でも開いているのだろうが…。


簡単にパレルモのことを。紀元前8世紀にカルタゴが軍事基地とし、紀元前3世紀にローマ軍の攻撃で陥落。次に831年にアラブ人が入ってきて支配した。11世紀にフランスのノルマンディー公国に起源をもつノルマン王国がアラブ人を追い出し、12世紀までノルマン王国の首都として繁栄したのが、今回の世界遺産の時代になる。パレルモはギリシャ語で「大いなる港、万能の港」パナルモスから来ているという。
さて、街中を通り過ぎるのが惜しいのだが、ガイドは「パラティーナ礼拝堂とカテドラーレを合わせたような大聖堂にこれから行きます」という。

シチリア島のシンボルマークは

パレルモ市街から30分ほど、いよいよ「モンレアーレ」に着く。パレルモ市街を一望できる丘の上にある。シチリアに残るノルマン芸術の最高峰とたたえられる「モンレアーレの大聖堂」(Duomo di Monreale)が建っている。

モンレアーレからパレルモ市街を一望

向かう道には土産店などが並んでいるが、奇妙な絵や看板、土産物がある。顔の周りに膝を曲げた3本の足が出ている。
ガイドに聞くと「トリナクリア(Trinacria)というシチリアのシンボルマークです。シチリア島の形で3つの岬を表し、顔はメデゥーサです」ということだ。ギリシャ語で3本の足という意味だという。
確かにシチリア島は大まかに三角形をしている。後で調べたら諸説あるそうだが、シチリアのシンボルであることには変わりないようだ。


大聖堂というからさぞ大きな建物だと思ったが、路地を抜けると広場の向こうに大聖堂が建っている。建物自体はファサードしか見ていないがパレルモのカテドラーレの方が大きかったなあと思いながら広場に入る。中身なのだろう。
高さの違う四角い塔が両サイドに立ち、正面上部のファサードにアラブ様式のアーチになっている。左の塔は未完成だという。

王が大司教に対抗した

入場すると、建物に入る前の廊下に銅像が建っている。1172年にこの大聖堂を建てたノルマン王のグリエルモ2世が大聖堂を神にささげている像だった。廊下の反対側には聖母像がある。
ラテン語の「モンレアール」(王の山)が語源で、当時パレルモのカテドラーレにいる大司教の力が強かったため「大司教の鼻をへし折るために、カテドラーレを見下ろす丘に大聖堂を建てた」(ガイド)のだという。


中に入ると、さすがにため息が出た。金色のモザイク画が壁一面に施されている。まばゆいばかり、というのはこういうことをいうのだろうか。シチリアのノルマン芸術の最高峰といわれるだけのことはある。


一番目を引くのは、やはり正面(後陣)中央にある「全能のキリスト」というモザイク画。これは大きい。


キリスト像の下には聖母を中心に、聖人や使徒、天使などが描かれている。


キリストのモザイクの左側には「グリエルモ2世の戴冠」というモザイクがある。キリストから直接王冠を授かっている。下の椅子は玉座なのだろうか。

サッカー場1つ分、世界一の面積のモザイク

グリエルモ2世は夢に聖母が出てきて「宝物を探しなさい」というお告げを受けて、この地に大聖堂を建てることにしたという。聖母像も豪華な装飾で囲まれている。

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