エフェス(トルコ)
紀元前2世紀にローマの支配下になり、エジプトの女王クレオパトラ7世とローマの政治家マルクス・アントニウスが滞在したのは紀元前1世紀ごろ。4世紀にはキリスト教の街になったという。
そんな中でもハイライト的な存在が、「セルシウム(ケルスス)図書館跡」。アレクサンドリア、ペルガモンと並んで古代3大図書館の1つだ。統治していたセルシウスという人の名前を取り、墓もあるという。
正面の柱や梁、壁の一部と女神の彫刻が残っているだけなので、倒れそうで危なっかしいのだが、見ごたえのある「遺跡」だ。
クレテス大通りという、大理石を敷き詰めたメーンストリートに入る。「ハドリアヌスの神殿」「トラヤヌスの泉」といった歴代ローマ皇帝の名前がつけられた門、神殿、聖堂、柱などが建ち並ぶ。
ハドリアヌス神殿跡は、裕福な市民が138年に造り、皇帝に献上した。アーチ形の門には彫刻が施されて美しい。門の正面には街の繁栄をつかさどる女神ティケ(チュケー)や、ギリシャ神話の髪が蛇、目を見た者は石になるというメドゥーサが彫られている。壁面には建国伝説やアルテミスなどが描かれているそうだ。
トラヤヌスの泉は皇帝トラヤヌスに捧げられた泉を建物で囲んでいた。ほとんど立っているのがやっとという風情の柱などがある。
原形をとどめていないのが残念だが、道の両脇にはモザイクに飾られた住居跡や商店などがあった。たくさんの柱が残っている。かなり大きな街だったようだ。
持ち去られたのか、頭がなくなった大理石像や、勝利の女神「ニケ(ナイキ)」の彫刻などが道の左右に無造作に置かれていた。
「面白いものがあります」とガイド。道の一角に足跡と文字。「娼館はこっちにありますという目印です」という。水路に流す公衆トイレなども「完備」されている。なんでもありそうな街だ。
聖母マリアが余生を送った地
発掘中だったのか、時間の問題か、理由はよくわからないが、ガイドが「ここで引き返します」といったところの目の前には、廃墟のような遺跡が広がっていた。神殿や「アゴラ」という集会所があったという。
巨大都市も、要の港が土砂の堆積などで埋まっていったため、8世紀ごろには放棄されたという。都市遺跡はほとんど未発掘でどれぐらいの規模か分かっていない。行ってからもう15年以上経ち、世界遺産にも登録されたので、発掘や修復は進んでいることだろう。
都市遺跡を離れて、近くの山中にある「聖母マリアの家」にいった。イエス・キリストの磔刑後、聖母マリアが聖ヨハネとともに住んでいたといわれていた場所で、実際に紀元前後の家の遺構が発掘されたという。
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