エピダウロス遺跡(ギリシャ)

紀元前6世紀ごろには「医神」として信仰されるようになった。

 

杖に蛇が巻き付いた「アスクレピオスの杖」は、発掘された彫像にも描かれている。新型コロナウイルスで脚光も批判も浴びている世界保健機構(WHO)のマークの由来にもなっている。今度、記者会見などの映像を見たときに確認してみては。

エピダウロスには港があって交易で栄え、水に治療効果もあったことから聖域として医療施設がつくられた。当時、海面は高かったのだろう。

施設を飾っていた彫刻や柱、治った人たちから感謝のため奉納された彫像や碑文などが発掘され、博物館に収められている。

紀元前1世紀にローマ軍によって破壊されたが、ローマ皇帝アントニヌス・ピウス帝が2世紀に再建。4世紀末のローマ皇帝テオドシウス帝によって活動を止められた。壊したり造ったり、ローマ皇帝は忙しい。

広大な医療施設と宗教施設

順路に沿って歩く。「カタゴゲイオン(Katagogeion)」という、治療に来ていた患者や家族の宿泊所の跡。石の枠組みや礎石しか残っていないが、広範囲にわたっている。かなりの人数がここで療養していたようだ。

すぐ横には「ギリシャ式浴場」跡がある。敷地内には他にも浴場跡があった。水が治療に効くということなので、鉱泉、冷泉が湧いていたのかもしれない。

続いて「エスティアトリオンの複合体」と説明板にある、これも大きな建物跡。「オデオン(Odeon、音楽堂)」を中心に、大宴会場などがあったという。柱が立っている真ん中あたりにオデオンがあったらしい。

治療に来ているのか、遊びに来ているのか、分からない感じだ。笑顔に治療効果があるというから、明るい医療施設だったようだ。

その奥が、宗教的な施設になる。「エジプトの神々の神殿」跡があるということは、ギリシャ人にとっても、エジプト文明には敬意を表していたということだろうか。

この街の主人公、アスクレピオスを祀る「アスクレピオン神殿(Temple of Asclepius)」跡。巨大なアスクレピオスの像が収められていた。神殿はギリシャ神話やトロイ戦争の場面などの彫刻で飾られていたという。

隣接して列柱が修復されている。ここには「アバトン(Abaton、聖なる仮眠所)」という治療施設があった。神殿で礼拝した患者は2列の列柱の間に横たわり、夢にアスクレピオン神が出てきて治療してくれるのを待ったという。

大がかりな修復作業をしていてそばに寄れなかったが「トロス(Tholos、霊廟)」は、学術的には貴重なものらしい。2列の円柱で囲まれた円形の建物だった。

スタジアムでは完治祝い?

最後に、出入口に向かう途中に「スタジアム」があった。オリンピアで見たような、陸上の直線のトラックがあり、スタートラインも残っている。

ここで競技会も開かれていたようだ。スタートラインに立てたことが病気の治った証として、走ったのだろうか。

2000年も前の遺跡で、しかも破壊されているので、はっきりとした建物は残っておらず、あるのは石が並んでいるというだけのところがほとんどだ。

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