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明治日本の産業革命遺産群(日本) 三池炭鉱万田坑、三角西港(三池エリア)

福岡~荒尾駅~バス万田坑前、熊本~三角駅~バス三角西港

明治時代の日本は、欧米列強に対抗するために近代化を進めていた。鉄鋼や造船などの産業施設が世界遺産に登録されているが、そうした重工業を支えたのが、動力源、燃料となる石炭産業。中でも、九州の三池炭鉱は、歌でご存じの方も多いように、明治から大正、昭和にかけて日本の産業を支えた。

三池炭鉱の福岡県大牟田市の宮原坑、熊本県荒尾市の万田坑と、専用鉄道敷跡。そして、三池炭鉱の石炭の積出港として三池港と三角西港(旧三角港)が「三池エリア」として世界遺産として登録されている。

施設が数多く残っている万田坑と、開港当時の施設が残っている三角西港に2016年、行ってみた。

日本で初めての鋼鉄製やぐら

JR荒尾駅から路線バスで10分ほど、「万田坑前」に着く。世界遺産に登録されたばかりで、お祝いの幟がはためいている。

万田坑ステーションで入場料410円と支払い、パンフレットをもらった。ちょうど、無料のガイドツアーがあるというので、参加することにした。ステーションでは万田坑の説明や復元模型、古写真の展示などをしている。ガイドツアーに参加するしないは別として、入る前に立ち寄った方がいい。

ステーションの解説やパンフレットなどから、万田坑の歴史を簡単に。戦国時代の入口、応仁の乱の最中の1469年に石炭が発見されていたという伝承があるそう。炭鉱としては江戸時代に採掘がはじまっていたが、明治維新後の官営炭鉱として團琢磨らによって近代化され、1889年(明治23)に三井に払い下げられた。

万田坑は隣の宮原坑に次いで、日本の炭鉱の模範になるように主力坑として開かれ、第一竪坑の完成で1902年に採掘を開始している。

正門から入場する。櫓(やぐら)のようなものもすでに見えている。

入口を入るとまず「山ノ神祭祀施設」。炭鉱というと災害の危険性が高いため、安全祈願の施設で、坑内作業員たちは一礼して炭鉱に入っていったという。

赤レンガ造りの倉庫、ポンプ室、安全燈室、浴室などの外観を見て、万田坑のシンボルとされる「第二竪坑櫓」に着く。

櫓は日本で初めての総鋼鉄製で高さ18.8メートル。1908年に完成した。鋼鉄は高価で、それまでは木材で櫓を組んで、重要な個所のみに鉄を使っていたそう。英国製の鋼材を使用しているので、相当な費用が掛かったと思われる。

鋼鉄の板を山型に折り曲げて強度を増し、組み合わせて立てて行ったそうで、主脚4本、補助脚2本で組まれている。

この第二竪坑は、櫓で2台のエレベーターのケージを昇降させて坑内作業員や機材を運ぶとともに、坑内の排気の役割をしていた。ちなみに、先にできた第一竪坑で入気と採掘した石炭を揚げていた。坑内作業員が入っていく入口がある。

事務所(旧排気用扇風機室)、汽缶場跡及び煙突跡、第一竪坑櫓跡、石炭の品質や大きさ、ボタ(岩石)との選別などをしていた選炭場跡などの外観を見学していく。

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