古都京都の文化財(日本) 銀閣(東山)
京都駅~バス銀閣寺道
初めて京都に行ったのは1976年。北海道の高校の修学旅行先は京都だった。寝台列車と新幹線を乗り継いでいった。多くの神社仏閣、史跡を見て回ったが、グループでの自由行動で選んだ先が銀閣。世界遺産という言葉も知らなかった頃だった。
もう1回見てみたいと思って、43年ぶりの2019年、行ってみた。
金閣と対照的に渋みがある銀閣
京都駅からバスで「銀閣寺道」へ。正確に覚えていないが、結構かかったので、30~40分ぐらいは乗っていたかも。「銀閣寺前」のバス停の方が近いらしい。
参道のような土産屋や飲食店がある通りをぶらぶら歩いて総門をくぐり、「銀閣寺垣」と呼ばれる竹垣が両側にある参道に入ると、小学生の社会見学だろうか、大集団がずらっと並んで待っていた。たぶん団体と個人は入口が違うだろうと先に進んだ。
子供がいたので写真を撮らなかったが、帰路で撮り忘れた。入口で手続きが済んだ子供たちがぞろぞろと中に入る列の隙間をついて、入山料500円で中に入った。
中門をくぐり、細い道を右に折れると「八幡社」の鳥居。その先に国宝「銀閣」がたたずんでいる。記憶していたよりも小さい。天気の問題か、黒々としていた印象があるが、日が当たっている銀閣は、きらびやかな金閣の正反対の味わいある渋さを醸し出している。
銀箔を張った痕跡がない銀閣
「方丈」と国宝「東求堂」の特別拝観があるので、先にそちらの受付に行った。時間が決まったいたが、あと20分ほどで入場できるというので、名前を書き込んだ。特別拝観料は1500円。銀閣を眺めて時間をつぶした。
HPやガイドブックによると「銀閣」は正式には「東山慈照寺」の「観音殿」のこと。室町幕府8代将軍の足利義政が、祖父の3代将軍義満がつくった北山「鹿苑寺(金閣寺)」を手本にして、1482年から山荘東山殿の造営を始めた。
舎利殿・金閣に対して作ったのが観音殿・銀閣で、木造2階建て。1階(一層)が「心空殿」、2階(二層)は「潮音閣」と名付けられている。
銀閣とは言いながら、銀箔を張った形跡はないという。当時は、自らの政治姿勢、後継者問題もあって起こった応仁の乱の終結直後。焼け野原になった京都で民を労役にかり出し、臨時税を徴収してまで造営した。相当恨みを買ったと想像できる。義政は完成直前の1490年に銀閣の内装を指示して亡くなっている。
ただ、銀閣と呼ばれ始めたのは江戸時代からだともいわれているそうで、創建当時に銀箔を張り付けるつもりだったかどうかは分からない。義政死後、法号慈照院にちなみ、山荘は臨済宗相国寺派の東山慈照寺となり、銀閣寺が通称となった。
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