平泉(日本)

仙台~東北自動車道~平泉

 

金で造られたお堂に1000年近く前の遺体が収められている。東北に覇を唱えた奥州藤原氏の菩提寺が「中尊寺」。大学時代の1980年に初めて行き、新聞社の東北支社(仙台市)勤務時代の2003年までに4度、行ってみた。ただ、写真は最初に行った頃のしか残っていなかった。

平泉といえば、奥州藤原氏と源義経の関係が有名だ。詳細は他に譲るが、平家の追っ手を逃れて藤原氏第3代秀衡の下で育った義経が、兄頼朝のために西国で平家を討ち滅ぼした。しかし、頼朝の不興をかって追われることになり、平泉に逃げたが、藤原氏4代目の泰衡に討たれる。悲劇のヒーローとして日本人なら知らない人がいない。

筆者の故郷北海道には、義経は平泉で死なず、北海道に渡ったという「義経伝説」が残っており、日高地方には「遺跡」や「地名」もある。北海道から大陸に渡り、モンゴル帝国のチンギスハンになったという壮大な伝説もある。確かに北海道名物ジンギスカンがなぜその名前になったかはよくわかっていない。平泉のある岩手県も、遠野市などでジンギスカンが名物でもある。

奥州藤原氏の栄華を象徴する寺

平泉は2008年に世界遺産登録を目指したが見送られ、3年後に再挑戦で世界遺産に登録された。奥州藤原氏の「浄土思想」に基づいた文化的景観が評価された。

「中尊寺」「毛越寺(もうつうじ)」「金鶏山」「観自在王院跡」「無量光院跡」の5カ所が対象になっている。

平安時代末期、藤原清衡が勝利した後三年の役の終わった1087年から、4代目の藤原泰衝が義経を殺害し、その後源頼朝に滅ぼされた1189年までの約100年間、東北に栄えた奥州藤原氏の遺構。

中でも中尊寺には、国宝「金色堂」など多くの国宝、重要文化財がある。

中尊寺には、駐車場からうっそうとした杉並木の月見坂という参道を登っていく。途中に「弁慶堂」がある。義経が泰衡に襲撃された際に最後まで主を守って最後は立ち往生を果たした弁慶の話も有名だ。

弁慶が立ち往生したといわれる場所ではないが、江戸時代の建物で義経、弁慶主従の像が安置されているという。

実は4回も行っているのだが、見るだけで写真がほとんど残っていないので、実際に見に行っていただきたい。「地蔵堂」「本堂」を経て、主目的の「金色堂」に着く。

本堂

金産地のプライド、黄金で飾られた堂

見える建物は「覆堂」で、金色堂を日差しや風雨から守るためにすっぽり覆っている建物。いまはコンクリート製だが、かつての木造覆堂だった。

中にはいると、文字通り金色堂はまばゆい色に輝いている。

HPなどによると、奥州藤原氏の初代清衡が1124年に建立し、当時東北地方で産出した金を惜しげもなく使って、匠の技術の粋を集めたという。金箔の柱1本にも手を抜かない細工が施されている。

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