
デリーのラール・キラー(インド)

隣には「ハマム」とあったので、お風呂。祈る前に体をここで清めた。風呂にしてはかなりの大きさだ。

赤い砦の白い主要施設
敷地内には地図があるのだが、緑色になっている部分がある。「この城は軍が使っています。入れるところが多くありません。緑の部分だけです」という。

英国領だった1857年に起きた「セポイの反乱」の時に、英国軍がここに駐屯した。兵舎などもつくられ、インド独立後も軍の施設として使用されていた。
今もほとんどの敷地を軍が城として使っているので、モティ・マスジドより先(北側)にも緑の部分はあったが、今は行けなかった。
Uターンしてデュワニ・アームの前を横切って、反対側へ行く。「ディワニ・カース(Diwan-i-Khas)」は、皇帝と賓客との謁見の場だった。「カースは特別の意味です」という。

内部には入れないのでのぞいてみたが、柱などには植物などが描かれていた。「宝石の象嵌(ぞうがん)がされています」というので、賓客を迎えるために豪華な内装にしたようだ。軍が隣で見張っているから、盗人が入ってきにくいことは確かだ

その隣が「カース・マハール(Khas Mahal)」。ここは寝室や居室などがあった。こちらも内部には入れない。

ディワニ・カース同様に、宝石で内部は飾られているという。このあたりの建物はみんな白い大理石を使っている。

最後にもう1つみられるのが「ラング・マハル(Rang Mahal)。説明版には「six apartment」とあったので、多くの部屋があって、遊興などに使っていたようだ。

「彩の間」と言われるように、内部の装飾がきれいだったらしい。建物の前にはたぶん、広い池がつくられていたのだろう。

見学できるところはコンパクトにまとまっている。修復中なのか、内部に入ることができなかったのは残念だが、ラホール門をくぐってから1時間30分ほどで一連の建物は見られた。

全景。左からモティマスジッド、ハマム、ディワニ・カース、カース・マハル、ラング・マハル。手前が池
今も「城」の務めを果たす
ラホール門から外に出る。霧がだいぶ薄くなってきた。城壁やその上の建物などの赤砂岩の色がきれいに見え始めている。


北側は軍関係でいけないので、堀で囲まれた外周をみながら、南側に歩く。南にも立派な門があった。進入禁止の軍のものと思われる出入り口もその横にあった。城の務めを今も果たしている。

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