ミケーネとティリンスの古代遺跡(ギリシャ) ミケーネ

アテネ~コリントス運河~ミケーネ

アテネの国立考古学博物館の一角に、黄金のマスクなどの黄金製品が飾られた部屋がある。伝説ではなく3000年以上前に実際に存在した黄金の都に2019年、行ってみた。

アテネから3泊4日のバスツアー「クラシカル・ツアー」に参加した。アテネがあるギリシャ本土と、古代遺跡が多いペロポネソス半島は細い陸地でつながっている。そこを貫くコリントス運河は以前紹介した。運河を横切って半島に入り、エピダウロスの古代遺跡を見てからミケーネ(Mikines、ミュケナイ)の遺跡に入った。

 

2頭の雌ライオンが見張る門

英語・スペイン語ツアーだったので、入口の売店でまずは日本語のガイドブックも買い、上り始めると、丘の上に石積みがみえてくる。ミケーネの街を囲んでいる城壁。相当頑丈そうだ。

ミケーネの入口は「獅子の門(Lion Gate、ライオンの門)」と呼ばれている。門の上部にはめ込まれた三角形の石に、向かい合った2頭の雌ライオンの彫刻がされている。残念ながら顔はなくなっている。

門は大きく4つの巨石からなっている。2本柱とその上に載せた横石、三角形の石で造られ、周りは長方形の石を積み上げて支えている。3000年前にこの巨石、どう組み上げたのだろうか。

柱にはくぼみが空いており「ここに木の棒などを通して鍵にしていた」とガイド。閂(かんぬき)で閉じていたのだろう。

門を幅は3㍍ほど。かなり頑丈なつくりで、これをくぐると王宮の城壁の中に入る。

トロイ発見のシュリーマンがまた見つけた

ミケーネは、紀元前1600年~1200年ごろに栄えた。伝説、神話を要約すると、ゼウスとダナエの息子ペルセウスがミケーネを、弟のプリセスが近くにティリンスを造った。ミケーネにある強固な城壁は、1つ目の巨神キクロペスが積み上げた。

2代後、ヘラクレスに12の偉業を成し遂げさせたエヴリウスが、ミケーネとティリンスを手中にし、その後、アトレウス家が権力を握った。

アトレウスの息子が、トロイ戦争で勝利したギリシャ側総大将のアガメムノン(Agamemnon)。ホメロス叙事詩「イリアス」に描かれている。

アガメムノンは凱旋後に妻と愛人に殺され、息子のオレスティスがその敵を討つ悲劇も起きている。アガメムノンの時代が紀元前1200年ぐらいで、その後すぐに衰退して忘れられていき、神話、伝説だけが残った。

再び世に出したのが、トロイ遺跡を伝説ではなく史実と信じて発掘、発見したハインリヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann)。1874年に発掘を始め、1876年に王墓を発見するなど、数々の黄金製の遺物も発掘した。「トロイがあったのだから、ミケーネもある」と思うのは自然の流れか。

円形墳墓A

 

黄金のマスクが見つかった場所

獅子の門の右に城壁に接した建物の遺構がある。「穀物倉」と言われている。門番の宿泊所だったといわれるが「地下で貯蔵用の壺が発見されて、中に穀物の後があった」(ガイド)ことから、穀物の貯蔵庫の役割も果たしていたようだ。

その隣に広がるのが「円形墓域A」。ここがミケーネを大発見にした場所でもある。

直径約28㍍の円形に石が積まれ、外側は2重に石板を立てて囲っている。シュリーマンはこの中で竪穴式の墓6基を発見した。全部で19体の遺骨(男性8体、女性9体、子供2体)が発見された。黄金の衣装をまとい、うち5体には黄金のマスクが被せられていた。

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