シントラの歴史的景観(ポルトガル)


鹿が名前を書いたタスキのようなものを巻いているのが描かれている。ここにはインド航路を開いたヴァスコ・ダ・ガマの紋章もあるので、探してみよう。
「GAMA」とあるのを見つけて写真を撮ってはみたが、薄暗くて遠いのと、カメラ性能もあって、お見せできるようなものが撮れなかったが。壁には一面にアズレージョで飾られている。

アズレージョの装飾

中庭を眺めてから「中国の間」へ。中国からの調度がおかれているが、なぜここに中国の間があるのかは分からなかった。
「礼拝堂」は絵タイルと床のモザイクで飾られていた。

礼拝堂

「アラブの間」には真ん中に噴水があり、壁はアズレージョ。それぞれ特徴がはっきりしている部屋が続く。最後に台所へ。天井が高く、明かり取りか排気口なのか、てっぺんに穴が空いている。

アラブの間

空模様は微妙。青空は見えるのに、霧雨が時々やってくる。外に出ると、王宮の前で結婚式だろうか、新郎新婦がいた。写真スポットなのだろう。
よく見ると彫刻で飾られた窓がきれいだ。次に向かう「ペナ宮」へのバス乗り場へ。バスダイヤは滅茶苦茶になっていたが、運よくペナ宮方面へ向かうバスが、今度はすぐに来てくれた。

霧に浮かぶへんてこ?な宮殿

シントラ一帯は、宮殿のほかに貴族の館などが丘の中に点在している。王宮殿からバスで丘を登っていく。今度は予想外の霧が深くなってきた。
途中に「ムーア人の砦」という8~9世紀の遺跡がある。遺跡自体は廃墟のようになっているが、展望がすばらしいらしい。ただ、この霧では50㍍先も見えないだろうと思い、そのまま通過して「ペナ宮」で降りた。
入口から坂を上っていった。ペナ宮の姿が見えたのは、間近に近づいてからだった。


ペナ宮は「雑多な建築様式」「悪趣味な色遣い」で、シントラでは異彩を放つ宮殿。霧の向こうにうっすらと黄色い建物が見えてくる。
宮殿全体は霧で見えないが、王宮殿よりは「宮殿」らしい感じがした。ここにも英語の地図ぐらいしかなかったので、とりあえず中に入った。
この宮殿は、フェルナンド2世がドイツから建築家を呼んで1850年に完成させた。イスラム、ゴシック、ルネサンス、マヌエルとたくさん様式を取り入れた(交ぜ合わせた)。
統一性がないとも言われるが、見る側で各様式を熟知している人はそういないだろうし、事実見てもそんなに統一性がないとは思わなかった。ただ、最初に見えた黄色の建物の色は、ちょっとはじけすぎかなとも感じた。彫刻で彩られた門をくぐった。

門の装飾も、蛇がいたりライオンがいたり、球状や四角錘の突起がついていたりと「これが統一性のなさといわれるのか」とは思った。来た人が一番最初にこれを見るのだから。


テラスのようなところにでて、周りにある建物を見回してみた。「トリトンの出窓」という入口がある建物には目を引かれた。


彫刻で飾られた窓の下部を、トリトンが怖い顔をして支えているような感じ。シャコガイやサンゴの彫刻がある。
この宮殿は海をモチーフにした彫刻が多いのだという。中に入ると、フェルナンド2世(たぶん)の像が階段を見張っているような感じで置かれている。

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