
紀伊山地の霊場と参詣道(日本) 熊野三山と熊野古道

那智大社境内に入ったころには大汗。雨も降ってきた。鳥居をくぐってやっと朱塗りの拝殿(礼殿)にたどり着いた。奥に本殿の建物が立ち並んでいる。

後で見る那智の滝を神として、約1700年前の仁徳天皇のころに社が建てられたという。今の本殿は1854~67年にかけて建てられ、第1殿から第6殿まであり、熊野夫須美大神(ふすみのおおかみ=いざなみのみこと)らが祀られている。

第6殿だけ方向が90度違うが、その前で足が止まった。例の八咫烏の像が建っている。「御県彦社」と看板があり、八咫烏はそこの神らしい。

隣にある青岸渡寺も由緒は古い。同じく仁徳天皇の時代にインドから裸形上人が熊野に漂着し、庵を結んだことが始まりだという。

本尊の如意輪観世音菩薩は推古天皇の寄進、いまの建物は豊臣秀吉が再建したというから、歴史で習った人たちが登場する。西国一番札所でもある。境内は展望台になっていて、ここから雨上がりの三重塔と那智の滝が見える。

流れが変わった? 那智の滝
「那智の滝」へはまた階段だ。下りだが、ごつごつして歩きにくい。行った当時の那智の滝は、2011年の豪雨で滝下の「飛瀧(ひろう)神社」が損壊するなど被害を受け、滝つぼ周辺には重機が入って巨大な岩石などを撤去している最中だった。

鳥居越しに見る滝も、がけ崩れで周囲の木々がなくなるなど、23年前とは見え方がだいぶ違っていた。赤い社殿もなくなっている。以前はこんな感じだった。

1990年当時の那智の滝
那智大社も元々はこの滝をご神体にしたもので、修験道の中心地でもあったという。もう復旧が終わっているだろうから、落差133㍍で、華厳の滝と並ぶ名瀑のおごそかな雰囲気が戻っているだろう。

那智駅に戻る帰りがけの駄賃にちょっと熊野古道を歩いてみた。市野々小学校前でバスを降りて「市野々王子」へ。こうした住宅地の中にある王子も多いそうだ。

そこから歩いて「曼荼羅の道」に入ったが、竹林主体の山の中で、細い道が続く。「尼将軍(北条政子)供養塔」などもあるが、雨が降ると水没しそうな個所もある。2時間ほどで那智駅にたどり着いた。
神話の時代に創建された神社
新宮に泊まった翌朝は雨。新宮駅近くのホテルからブラブラと歩いて20分ほどの「熊野速玉大社」に向かった。小さな太鼓橋を渡って鳥居をくぐる。結構な雨ふりで写真がなおざりになってしまう。

りっぱなしめ縄のある朱塗りの神門をくぐると本殿前に出る。

左に拝殿、正面に鈴門という本殿への門が並ぶ。その奥に、結宮、速玉宮、上三殿、中四社、下四社と並んでいる。
と背後に結宮奥)と速玉宮(手前).jpg?resize=615%2C461&ssl=1)
熊野速玉大社拝殿と結宮速玉宮
この大社は、熊野三神が降臨した新宮市にある神倉山の霊石ゴトビキ岩(天ノ岩盾)から今の場所に移ったので、このあたりを新宮というそうだ。128年というから約1900年前、神話の時代だ。
祭神は、熊野三神のうち、熊野速玉大神(はやたまおおかみ=いざなぎのみこと)と、熊野夫須美大神(ふすみおおかみ=いざなみのみこと)を主神に、12の神々。

熊野速玉大社上三殿
日本の神は漢字表記で、使う漢字も数通りあって、読み方も今の読み方ではない場合があり、しかも違う名前を持っていて同じようにいくつも漢字表記される。漢字にも意味があるのだろうが「いざなぎのみこと」「いざなみのみこと」ならすぐ分かるのに…そんなことを思いながら、順番におまいりした。
この記事へのコメントはありません。