紀伊山地の霊場と参詣道(日本) 熊野三山と熊野古道

大門坂の入口に立つ夫婦杉

磨り減ってでこぼこしている石も多い。少し上ると、九十九王子の最後の王子「多富気王子」の跡がある。650㍍ある大門坂の2割も来ていない。


入口にあった杖を借りてくればよかったと後悔しながら上っていたら、中腹ぐらいにも杖置き場が。今度はしっかり借りた。どうしても下を向いて上ってしまうが、時々顔を上げて、前方の苔むした階段や杉並木をながめて休息しながら上り切った。

長い階段の上に1700年前創建の社

そこは那智大社の入口。だが、そこからも450㍍の階段。一難去ってまた一難。参詣の苦労が少しは分かった気がする。土産物や食堂が並ぶ参詣道を上がる。
途中で土産物屋の女性が「珍しい花が咲いているから見て」と指差すところに割と大振りの花が。「トケイソウっていうのよ。時計に似てるでしょ」。確かに。一息ついた。


那智大社境内に入ったころには大汗。雨も降ってきた。鳥居をくぐってやっと朱塗りの拝殿(礼殿)にたどり着いた。奥に本殿の建物が立ち並んでいる。


後で見る那智の滝を神として、約1700年前の仁徳天皇のころに社が建てられたという。今の本殿は1854~67年にかけて建てられ、第1殿から第6殿まであり、熊野夫須美大神(ふすみのおおかみ=いざなみのみこと)らが祀られている。


第6殿だけ方向が90度違うが、その前で足が止まった。例の八咫烏の像が建っている。「御県彦社」と看板があり、八咫烏はそこの神らしい。


隣にある青岸渡寺も由緒は古い。同じく仁徳天皇の時代にインドから裸形上人が熊野に漂着し、庵を結んだことが始まりだという。


本尊の如意輪観世音菩薩は推古天皇の寄進、いまの建物は豊臣秀吉が再建したというから、歴史で習った人たちが登場する。西国一番札所でもある。境内は展望台になっていて、ここから雨上がりの三重塔と那智の滝が見える。

流れが変わった? 那智の滝

「那智の滝」へはまた階段だ。下りだが、ごつごつして歩きにくい。行った当時の那智の滝は、2011年の豪雨で滝下の「飛瀧(ひろう)神社」が損壊するなど被害を受け、滝つぼ周辺には重機が入って巨大な岩石などを撤去している最中だった。


鳥居越しに見る滝も、がけ崩れで周囲の木々がなくなるなど、23年前とは見え方がだいぶ違っていた。赤い社殿もなくなっている。以前はこんな感じだった。

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