秦の始皇帝陵(中国)

西安~兵馬俑坑~始皇帝陵

体育館のような建物に入り、見下した瞬間、無数の視線を感じる。相手は焼き物の人形なのだが。
紀元前3世紀に中国を統一した初の皇帝、秦の始皇帝。万里の長城の建設を始めたことでも有名だが、自分の墓のために作らせた「兵馬俑(よう)」を見に2011年、行ってみた。

西安からワゴン車で1時間ほど。駐車場から兵馬俑が収まっている「兵馬俑坑」まで座席数20ぐらいの電気自動車で移動する。
ちゃんと並んでいるのに、自動車が来た瞬間にワッと群がるいす取りゲーム。出遅れると、列の一番前にいても後ろから追い越されて次のを待つ羽目になる。何人も整理員がいるのだから、座席数だけ出せばいいものを、と思いながら、いすを確保できずに列に戻ってくるのはたいてい外国人。
私も先頭から10番目ぐらいにいたが、1台乗り損ねた。次々に来るので待ち時間はそうかからないが、さすが20億人の中を生き抜く中国人のたくましさは、こんなところにも垣間見られる。
遺跡の上を建物ですっぽり覆った「兵馬俑博物館」。最初に発見された1号坑に入る。地面を掘り下げたところに、整然と並ぶ焼き物の「俑(よう)」。その数、広さにまずはびっくりさせられることは間違いない。
息をつめて見つめている自分に気づいて息を吐き出す。初めて目にした瞬間のインパクトは強烈だ。

兵馬俑坑は1974年、井戸を掘っていた楊志発さんら農民が偶然発見した。「始皇帝陵」の東に位置している。

まさに偶然の発見

1号坑は幅62㍍、奥行き230㍍。坑道は深さ5㍍ほどで11あり、その中に兵士の俑が東を向いて並べられている。
「最初に発見されたのはここ」という表示があったが、東の端、先頭の部分で、見つかったのはまさに運、だったようだ。

兵士たちの間には馬や戦車の俑が配置されている。一番の右の坑道の兵は右(南)、左の坑道の兵は左(北)を向いている。当時の軍陣の配置をそのまま再現しているという。

「まだ5分の1ほどしか発掘されておらず、見えているのは先鋒の軍隊」とガイド。手の部分が丸く空洞になっているのは「槍とか弓など武器を持っていた」という。

当時の人物をそのまま、俑にしたとされる。高さは最大200㌢、平均180㌢前後(重さ300㌔)というから、だいぶ大きくはつくったのだろう。

顔は同じものがないといい、見ていても確かにみな別人で、目つきも違い、髪型、ひげのほか、靴や帯など細部も表現されている。

「専門の職人がつくり、いろいろな民族の特徴をあらわしています」(ガイド)とただ数をそろえたのではなく、始皇帝軍の兵士たちをモデルに丁寧につくられたようだ。

兵馬俑は彩色されていた

俑のどこかに小さく名前が刻まれており、製作者だとされる。身分や役割などで当時の服装の色に彩色されており、跡が残っているものもあったことがパネルに表示されていた。
「空気に触れると色がなくなるので、まだ発掘せずに色を残す方法が研究されている」という。発掘され、俑が修復されて坑道に戻された部分はまだ4分の1程度で、1号坑をすべて発掘すると6000体ほどがあるらしい。


続いて2号坑へいく。1号坑の半分ぐらいでこじんまりした感じがする。こちらは1号坑が数で圧倒する歩兵の軍陣なの対して、弓隊の立射俑、跪射(きしゃ)俑や、騎馬隊、戦車隊など「特殊部隊」の兵馬俑が出土しているという。

取り出されないままの俑が壊れたまま無造作に放置され、まだ未発掘のところも多い。未発掘のところを見ると、土が弓なりになっている。土に押されて倒れ、壊れたと想像できる

ガイドブックによると、坑道を掘り、木材で壁に柱を立てて補強し、俑を並べた後、その上を木材でふたをするようにして天井を作ったようだ。その上に土をかぶせており、長い年月で天井や柱がもろくなって崩れてきたということらしい。

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