北海道・北東北の縄文遺跡群(日本) 三内丸山遺跡・是川遺跡・二ッ森貝塚(青森県)
その近くに3棟並んでいるのが「掘立柱建物群」。高床式に復原されている。一般の住居なのだろうか、「竪穴建物」も復原されている。入口が低く狭いが、中には入ることもできる。
どんどん歩いていく。集落内には墓などもあり、土器に入れられた子供の墓、土坑墓という大人の墓など、500基以上が見つかっている。
ゴミ捨て場のようなところもあり、当時の人には不要なものも、今の研究者にとっては宝の山らしい。多くの発掘物が見つかっている。「北の盛土」「南の盛土」は土器、石器の捨て場所、「北の谷」は動物や魚の骨などの食べ物、木製品などが捨てられていた。
遺跡を一回りするのに、1時間ほど。無料のボランティアガイドのツアーがあるので時間が合えば利用するのもいいだろう。
最後に時遊館内のさんまるミュージアムをみた。発掘された土器、石器を始め、5000年前の生活の様子が分かる。重要文化財の「大型板状土偶」の口を開けて叫んでいるような表情が印象的だ。
漆製品に縄文人の豊らを知る
青森県内ではほかに、2つの遺跡に登録前に行ったことがある。八戸市内の「是川遺跡」には2015年、行ってみた。
市内の新井田(にいだ)川沿いの台地で見つかった縄文集落跡で、縄文前期~中期の一王寺遺跡、中期の堀田遺跡、晩期を中心とする中居遺跡の3つの遺跡の総称。「長谷谷地貝塚」が関連資産になっている。
出土品は遺跡に隣接する「是川縄文館」に収められている。一王寺遺跡からは特有のバケツ状の土器が大量に出土し「円筒土器」と名付けられている。堀田遺跡から土器などのほかに住居跡も発掘されているそうだ。土偶も数多く見つかっている。
3000年前ぐらいと新しい時代の中居遺跡からは木製品が多く出土し、しかも漆が塗られていた。赤い漆塗りの櫛などの展示品を見ると、当時漆の価値がどれぐらいだったかはわからないが、現代でも高価な漆の櫛を使っている縄文人、暮らしぶりも豊かだったようだ。
暗くなった一室に入った。是川遺跡には入っていないが、新井田川対岸の風張遺跡で見つかった縄文時代後期後半(約3500年前)の土偶が鎮座している。国宝「合掌土偶」で、座った形で手を合わせている。何かを祈っているようだ。座って子供を産む座産のポーズで子孫繁栄を願ったという説などもあるそうだ。
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