歴史的村落・河回と良洞(韓国) 良洞村

慶州~路線バス良洞民俗マウル前~良洞村

韓国の伝統的な家屋が多く残されている村がある。日本でいうと、合掌造りで世界遺産に登録された白川(岐阜)、五箇山(富山)のような村なのだろうか。2015年、行ってみた。

慶州の市外バスターミナルに行って良洞行きのバス乗り場を聞くと、通りを挟んだ反対側のバス停を教えてくれた。筆談だったが「200、201、203、212、217番に乗ってください」とのこと。バス停に行った。

203番が近くまで行くそうなので時間を聞いて、8時30分のバスに15分ぐらい前から並んだが、いっこうにバスが来ない。地元の人も来る方を見ながら怒っているようだ。1時間近く待たされてやっと来た。いつもこんなに遅れるのかは分からない。

45分ほどで「良洞民俗マウル前」終点に着く。

ロータリーになっており、バスの運転手に聞くと、帰りも同じ停留所というので、時刻を聞いて良洞村への入口に向かった。203番のバスは本数が少ないそうだが、良洞村(ヤンドンマウル)の入口のすぐ近くまで行ってくれる。その他の番号のバスは「良洞入口」で下りて20分ほど歩くという。

 

朝鮮王朝時代の上流階級の屋敷が集まる

バス停からすぐの村の入口には案内所の立派な建物とゲートがある。普通の村とはいえ、勝手に観光客は出入りできない。入場料は4000ウォン(約400円)。そこで日本語のパンフレットがあったので、その地図とお勧めスポットを参考に歩くことにした。

村に入ると、のどかな風景が広がる。今の時代とは違う時間が流れているようだ。小川が流れ、橋がかかり、田畑の向こうに古い藁ぶきの建物と豪奢な屋敷がみえる。

良洞村は背後にある雪蒼山(ソルチャサン)の谷川と3つの丘にできた村で、「勿」という縁起のいい字に似ている地形とあって、朝鮮時代に驪江李氏(ヨガン・イシ)と月城孫氏(ウォルソン・ソンシ)の名家2家が代々、500年以上も住んでいたという村で、伝統家屋が150軒ほどあり、いまも多くは普通に暮らしている。当時の「両班(ヤンバン)」の家屋を見られる

橋を渡って丘の上に見える「豪邸」は「香檀(ヒャンダン)」という。朝鮮時代の中期、1543年に、良洞出身の性理学者・李彦廸(イ・オンジョク)が母の看病をできるように中宗が建ててくれた家だという。性理学とは、詳しくは他に譲るが、儒学の一派で朝鮮時代に隆盛した学問だという。

中には入れないが、構造は居間、母屋、門脇部屋が「興」の字形をとっている上流階級の格式という。興の字かどうかは見えないが、大きな屋敷であるのは確かだ。

 

両班の財力、権力の大きさが表れる

パンフレットに建物の紹介が載っているのは香檀を含めて4つ。内部は難しいが、敷地内に入れる。地図に建物の名前が書いてあるのが24あり、そのほかの家は立ち入れない。

地図を見て、香檀から近い「観稼亭(クァンカジョン)」にいくことにした。道は書いてあるが、その他にも道があったり、これか?思うようなあぜ道のような道だったり、パンフレット頼みの場合は迷うことは覚悟して歩こう。5分ほどで着いた。

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