
白川郷・五箇山の合掌造り集落(日本)

五箇山・村上家1980年
五箇山で最大の合掌造り、岩瀬家も当時の当主も、同じようにノートに一筆したためてくれていた。

当時と同じアングルから両家の写真を撮ってみた。こちらも40年近くたっても変わっていない。建てられて300年ほど経っているのだから、当然か。

五箇山・岩瀬家2013年

五箇山・岩瀬家1980年
菅沼から庄川を渡って山を上っていくと、集落と離れて1つ、羽馬家の大合掌造りがある。

五箇山・羽馬家
もうユースホステルはやめていたが、お邪魔して昔話をしてから、もう1つの集落「相倉合掌集落」に行った。
合掌造りに住んでみる気は?
合掌造りの家が民宿などになっている。その1つに泊まった。夜、かつては庄屋だったという豪邸(合掌造りではなかった)で、麦屋節の保存会の公演があったので、初めてちゃんと聞いた(見た)。

五箇山・麦屋節保存会
相倉合掌集落は、菅沼よりも規模が大きい。ここには20棟の合掌造りが建っている。1980年には来なかったので、集落内を歩いた。どれも立派な風格だ。

原始合掌造りの家もあり、屋根が地面までついている。縦穴式住居の進化系なのだろうか。
「天狗の足跡」という奇妙な石がある。多くの合掌造りは民宿や土産物店、飲食店になっている。

夜はライトアップされるので、なかなかの風情でもある。行ったのは初秋だったが、いろいろなところに飾られている写真を見ると、観光客としては冬がよさそうだ。住んでいる人は大変な季節だから合掌造りができたのではあるが。

宿の方が言っていたが、商売をせずにただ普通に住んでいる家もあり、観光客が勝手に入ってくるケースなどトラブルもあるという。集落内は禁煙なのは当然か。マナーは守りたい。

また、茅葺の葺き替えなども大変で、離れていく人もいて、空き家になっているものもある。逆にそうした家に移り住んでくる人もいるという。「いまも1つ、空き家があるそうなので、どうですか」と勧められた。
台風の中を白川郷へ
実はこの時、台風が迫っていることを忘れていた。相倉合掌集落で朝起きると、強風と雨。テレビでは京都・嵐山の桂川氾濫を映し出している。
宿の方が消防団などに聞いてくれたところ、富山方面への道路がすべて通行止め、名古屋方面は東海北陸自動車道だけは通れるという。白川郷を見て、富山から飛行機で、というのはあきらめて、名古屋へ出るしかないらしい。
五箇山相倉合掌集落を一望できる丘を教えてもらい、少しもやにかすんだ集落を見て白川郷へ急いだ。「いつ通行止めになるか分からないそうですよ。気をつけて」と見送られて。

五箇山・相倉集落
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