古代都市テーベと墓地遺跡(エジプト) ナイル川西岸

王家の谷になった特殊な場所

荒涼とした砂漠の山の中、谷を遡っていき「王家の谷」入り口にたどり着く。「あの山の形、何に見えますか」とガイドの問いに、前方のエル・クルン山を見る。頂上部分がちょうどピラミッドの形に見える。

王家の谷の背後にそびえるエル・クルン山

「この場所を墓に選んだのは、ピラミッドに見守られるからだといわれています」と説明した。この特殊な場所は、トトメス1世の紀元前1520年ごろから約500年間、新王国時代の王と家族、貴族の墓所になった場所だ。
王墓22を含めて64の墓が点在し、まだ発見されていない墓がある可能性は高いという。近くには王妃の墓を中心とした「王妃の谷」というのもある。
真っ先に向かうのはやはり「ツタンカーメン王の墓(Tombs of Tutankhamun)」。副葬品のほとんどは現在はエジプト考古学博物館(カイロ博物館)に移されているが、王のミイラはここに眠っている。


1922年、英国人ハワード・カーターが発見した話は有名すぎるので省くとして、ツタンカーメン王については簡単に。新王国第18王朝の父アメンホテプ4世がアメン神((Amen))からアテン神(Aten、太陽神)信仰に改宗、首都をテーベからアマルナに移すなどの改革を行い国内が混乱する中、紀元前1350年ごろ9歳で即位した少年王。
「アテン神の生ける似姿」という意味のトゥトアンクアテン(Tut-ankh-aten、ツタンカーテン)という名前だったが、即位後アメン信仰に戻し、トゥトアンクアメン(Tut-ankh-amen、ツタンカーメン)となった。
王妃はアンケセナーメン。18歳で突然死去した。頭部殴打による暗殺説もあったが、墓に安置されていたミイラのCT検査で否定されている。謎のままだ。


入場料とは別料金なのだが、やはり人気NO・1で行列ができている。待っている間、墓が発見された当時の様子などが通路の壁に掲示されているので、予習にどうぞ。中は写真撮影禁止。
入ると、ガラスでふたをした石棺に王のミイラが納められた人型棺が入っている。王家の谷の中で初めて入る墓だったので、周囲の壁にある3000年以上前の彩色画の鮮やかなオレンジ色に「へえ~」と思ったが、意外と小さい玄室という印象だった。

王家の谷では、公開されている王墓のうち入場券で好きなものを3つ見られるというので、ラムセス2世、ラムセス3世と、ガイドお薦めのトトメス3世の墓を駆け足でみた。
いずれも、ツタンカーメンより規模がずっと大きく、彩色画などの装飾も見事。トトメス3世墓は少し離れたところにあるので、ツアーなどでは時間配分に注意しないといけないが、さまざまな絵が通路から玄室までの壁面、柱に描かれて、見た中では最も豪華だった。撮影禁止だったのが残念だ。
未盗掘だったツタンカーメン墓の副葬品の価値は途方もない額だという。盗掘されてしまったもっと大規模の墓にはどれほどの副葬品が納められていたか、そして、どこにいってしまったのだろうか。当時、盗掘は1つの職業で、近くの住民は盗品を売って生計を立てていたというのだが…。

1979年登録

 

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