トロイの古代遺跡(トルコ)
1つの都市が壊されると、それを土台に新しい都市を築いていくのは日本をはじめ世界中にあるが、9つも重なっているのはそうないかもしれない。このあたりは地理的条件がよく、支配者が何度も変わったのだろうか。
そんなトロイも大地震で崩壊して消えてしまい、忘れ去られてしまう。伝説、神話だけが残った。
少年時代に「イリアス」を読んだシュリーマンは、実業家として財を成した後、1870年に発掘を始め、1873年に「プリアモスの財宝」と呼ばれる遺物を発見した。
ただ、シュリーマンは積み重なっていた都市層の中で、下から2番目の第2市の遺跡で財宝を発見した。しかし、時代的には実際には探していたトロイ戦争時の王プリアモスの時代のものではなかった。
シュリーマンは数百点の貴金属などの財宝を当時のオスマン帝国に申告せずに持ち出し、その後母国ドイツに寄贈。第2次大戦時にロシアに持ち去られ、モスクワのプーシキン美術館に収められているという。偉人伝説が残っているが、盗掘者でもあったということだ。古代の財宝の魅力に負けたのだろうか。
また、9都市も重なっていたとを知ってか知らずか、2層目にたどり着こうとして多くの遺構を破壊してしまった。特に、本来見つけたかったはずのトロイ戦争があったとされる紀元前13世紀前後にあたる第7市が、発掘時の破壊でほとんど残っていないため、いまだにここが正確にトロイだったかの確証が得られていないという。発掘の難しさなのだろう。
さまざまな遺構はあれど…
ぐるっと遺跡を歩く。第1市の住居跡、第2市の石畳の道、第7市のトロイ戦争時の城壁や門の跡、第9市のアレクサンダー大王も供物をささげたという聖域…それぞれの時代の遺構が次々と現れてくる。
「古い」ということはわかるが、多くは同じような石積み、レンガづくりの遺構でもあり、素人目には時代によっての違いがそんなに分からないというのが正直なところだった。
シュリーマンの発掘の破壊を免れた古い方の第1、2市はけっこう残っているらしいが、遺跡の売り物になるであろう、トロイ戦争時の第7市の遺構がだめになっているのが惜しまれる。
これといってメーンとなる建物、芸術品の展示などはなかった。「ここはアキレスが死んだと思われる場所です」などが分かってくれば、見る方の楽しみにもなるのだが…。
当時はいたるところをビニールシートなどで保護して発掘作業を行っていたので、今はもう少し修復、復元などが行われているかもしれない。
確かにトロイだったという新たな発見は今のところ、聞こえてこない。「トロイ遺跡」ではなく、地名をとって「イリオス遺跡」とも呼ばれている。
文字通り、廃墟になった街だが、映画のシーンほか、これまで見聞きしてきたいろいろなことを想像しながら歩くと、街が生き返って見えてくるのかもしれない。
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