
紀伊山地の霊場と参詣道(日本) 高野山
大阪~高野山奥の院~金剛三昧院~高野山壇上伽藍~徳川家霊台
高野山一帯もこの世界遺産の構成遺産になっている。日本を代表する霊場で同じ和歌山県とはいえ、いわゆる熊野一帯とは距離、地理的に違和感を覚えたが、ここから熊野本宮大社を最短で結ぶ熊野古道、小辺路(こへち)が始まっている。
熊野詣の前に、霊場高野山をお参りするとは、なんともありがたい旅だったようだ。熊野詣とは別に2013年、行ってみた。
朝、大阪・難波駅で南海電鉄の「高野山・世界遺産きっぷ」(当時2780円)を購入した。拝観やお土産の割引券もついている。
難波から電車、ケーブルカー、バスを乗り継いだ。予定は半日、高野山内バス乗り放題のフリーチケットで移動する。10時過ぎ、一番遠い「奥之院」から始めた。
弘法大師は存命している
一の橋口で降り、奥之院の御廟を目指す。約2㌔のほぼ一本道で、道沿いには墓碑、石塔、霊屋が林立している。墓碑、石塔は約20万基あるという。世界遺産に登録されているのが「上杉謙信霊屋」。

上杉家霊屋
こうした墓碑や霊屋などは全部が世界遺産登録ではない。上杉謙信霊屋のほかには、佐竹義重霊屋、松平秀康・同母霊屋史跡が登録されている。

松平秀康石廟
著名人? には立て札などがあってわかりやすい。織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、石田三成、武田信玄、伊達政宗ら戦国武将、平敦盛と熊谷直実、大岡越前守、赤穂浪士、法然、親鸞ら、敵味方? 入り乱れて眠っている。本当の墓ではないが「墓所」の記載がある。

織田信長墓所
御廟橋から先は奥之院。弘法大師空海の入定(真言宗密教の修行)の地で、高野山では最も神聖な場所だ。
835年に亡くなったが「この世に身を留め、未来永劫人々を救い続けます」という誓願をしており、いまも生きていると信じられている。毎日食事も出されているという。

神聖な場所ということで、御廟橋から先は撮影禁止。御廟で手を合わせ、朱印をいただいてきた。

日本で2番目に古い優美な多宝塔
奥之院からバスで高野山の中心地へ戻る。千手院橋という商店などが立ち並ぶ一角で降り、少し小高いところにある「金剛三昧院」へ。ここの「多宝塔」が国宝であり、世界遺産でもある。

鎌倉時代、北条政子が源頼朝、実朝を弔うために1211年に建立。高野山では現存最古の木造建築で、多宝塔としては日本で2番目に古い(1番は石山寺多宝塔)という。1階が方形、2階が円形。優美な建物だ。

高野山は、真言宗を開いた空海が修行の場として816年に嵯峨天皇からこの地を賜ったのが始まり。翌年から伽藍を作り始めた。当時の建物は残っておらず、空海死後に多くの建物が建てられた。
いまも117の寺があり、寺にかかわる人たちが生活する宗教都市になっている。人口3000人ほどで、中心部は十分歩いて回れる。市街地で軽く昼食を取った。
全山が世界遺産ではなく、その中から歴史的価値のあるものが登録されている。
国宝の宝庫、金剛峯寺
次に金剛峰寺に寄る。真言宗の総本山で、いまも座主が住む。

いまは修行の中心は道場の「壇上伽藍」だが、もともとは金剛峰寺が高野山の総称だった。
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