アントニ・ガウディの作品群(スペイン) カサ・ミラほかバルセロナ市街

骨の家、あくびの家、潜水艦…

朝9時の「グエル公園」から始めた「ガウディ巡り」もカサ・ミラを終える頃に昼食時になる。メーンストリートのグラシア通りにはレストランのテラス席がこしらえられる。

カサ・ミラから少し下ったところにある「カサ・バトリョ」が見える店の席に座って、ビールとサンドイッチで腹ごしらえした。
バルセロナ市街の「ガウディ巡り」をするには予約が便利だ。1月の土曜日だったが、前日でもネット予約できた。パソコンやスマホに送られてくるバーコードを見せればチケット売り場に並ばなくて済み、日本語音声ガイドもついているので1カ所1時間半~2時間ほどは見たい。
移動時間や食事を考慮して各建物の予約時間を決めればいい。「カサ・バトリョ」の予約時間に合わせて席を立った。
「カサ・バトリョ」の外観からまず見よう。

「石切り場」のカサ・ミラより複雑で装飾も華美になっている。壁の柱の形が骨に見えることから「骨の家」とも呼ばれた。柱が大たい骨のように見える。また、バルコニーの形状から「あくびの家」とも。
実業家ジョセップ・バトリョ(バッジョ)から依頼されたガウディが1904~06年に造った個人住宅。図面はなく、下絵と石膏模型を示しながら造ったというから、大工たちも大変だったろう。
全面に植物や龍か魚のうろこなどを表現したようなモザイクで飾られている。スペインの画家ダリは「嵐の日の波が表す海の姿を家にした」と評価したという。

そのダリの言葉にうなずけるのは玄関ロビーに入ってから。曲線と波型で構成され、こちらも亀の甲羅や魚のうろこのような模様で飾られ、階段の曲がりくねった手すりは龍の背骨のような感じになっている。

音声ガイドでは「海底2万里のネモ艇長の潜水艦にいるような世界」と表現している。
ただ奇抜なのではなく、人間工学に基づいて手にフィットするようになっているという。手すりに限らず、ドアの取手も不思議な形だが、持つと握りやすく開けやすい。

2階に上がると、書斎などの部屋がつづく。目を引くのが、通りに面した大きな窓とステンドグラスのような窓ガラスの色遣い。ほとんどが曲線でできている。
部屋を仕切る壁やドアも丸みを帯びてガラスをはめ込む。自然の光を最大限部屋に引き込むためだという。

窓の下部には魚のエラのような羽板がついており、換気に使う。デザイン性と機能性、両方とも高い。思わずうなる。

こんな家なら飽きない

階段にでると、建物の中心は吹き抜けになっている。壁はタイルで装飾され、上の階に行くにしたがってパールグレーから空色、濃紺へと濃くなっていく。

光が差し込んだ時に全体が同じような薄い青色に見えるような工夫だという。上がっていくと、食堂、そして中庭に出る。タイルとモザイクのオブジェで飾られ「万華鏡の世界」を演出している。

最後に屋上に上がった。屋上の造りはガウディの得意技。煙突や恐竜を思わせる出入り口など、真骨頂のデザイン。モザイクで飾られている。
バトリョ一家は飽きずに生活できただろう。ガウディはモザイクに使う陶器やガラス片を取り壊す家などから集めてきた。再利用の先駆けともいえそうだ。
ガウディの住宅建築の中で、ここが一番奇抜でありながらまとまっていて楽しめるように思う。

最後の「グエル邸」の予約時間まで少し空いたので、カタルーニャ広場から少し東に行ったところにある「カサ・カルベ」に立ち寄った。世界遺産に登録されていないが、こうしたガウディ作品は街中にたくさんある。

カタルーニャ広場を抜け、もう1つのメーンストリート、ランブラス通りに入る。「Palau Güell」の標識をたどった。「グエル邸」は、大通りから少し入った所にある。

ガウディの原点

ガウディとの関係が深かった実業家エウゼビ・グエルの依頼でガウディが1886~90年に造った初期の「作品」だ。カサ・ミラやカサ・バトリョに比べて、外観は直線的で内部も全体的におとなしい感じだ。

地下にある厩舎に始まって、メーンフロア、寝室階、屋上までの各階をくまなく見て回れる。

アーチ型の柱、色ガラスを取り入れた窓、星空を演出したドームを持つサロン、中庭に面した外壁の装飾…その後の建築で見せるデザイン性と機能性が一体になった造りの原点に思える。

星空のような天井のサロン

お決まりの屋上へ。こちらには、土筆(つくし)かキノコのような形の煙突が林立する。このあたりにも後の片りんがうかがえる。

19世紀末にフランスのアールヌーヴォーとともにスペインで起こった「モデルニスモ」という新しい芸術様式を建築で表現した代表が1852年生まれのガウディ。
1878年のパリ万博の出品作でグエルの目に留まり、スポンサーとしても援助してくれる知己を得て、その才能を開花させた。100年以上たった煙突のモザイクは、いまも輝きを失っていない。

1984年登録

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