サーンチーの仏教建造物群(インド)

仏教を広める絵本のように使っていたのかもしれない。

北トラナが、これから見ていく計4本のトラナの中で最も保存がいい。

サーンチーはインドを始めて統一したマウルヤ王朝のアショーカ王(Asoka、アショカ)の時代、紀元前3世紀に造られた。仏教を保護したアショーカ王はインド各地にストゥーパをたくさん造り、サーンチーの第1ストゥーパは現在の半分ほどの大きさのレンガ積みだったそうだが、2世紀から1世紀にかけて次のシュンガ王朝時にその周りに石を積んで、現在の大きさになった。

頂上には四角く囲った部屋があり、仏舎利容器を安置するそうで、傘蓋(さんがい)という皿を3つ差した竿を立てている。

トラナ巡りでストゥーパを1周

時計回りにストゥーパの周りを1周する。といっても、トラナ巡り。学術的にはストゥーパが大事なのだろうが、どこから見ても、まあ同じ形だし、見事な彫刻のトラナの方が見ていて楽しい。

「東トラナ(イースト・ゲート)」。ここは北トラナと同じく、柱の中ほどに象が四方に彫られている。

柱の上方にはあるのは獅子だろう。女性像は天女だろうか、きれいに残っている。

ブッダの母マヤ夫人の物語やブッダガヤの話などが描かれている。「サンスクリットより古い」というパリ語の文字も書かれているそうだ。

「南トラナ(サウス・ゲート)」は、北トラナと同じぐらいの時期に建てられたそうだ。

13世紀ごろにインドにイスラム教が入り、仏教が追いやられた。サーンチーもその後荒れて、廃墟になっていた。

1818年に再発見されたが、盗掘などがあり、1912年から英国人考古学者ジョン・マーシャル卿の調査で重要性が明らかになり、修復が行われるようになったという。

南トラナは柱の下方の彫刻がなくなっている。盗掘なのか、破壊なのかは分からない。

残っている彫刻では、サルナートでブッダが説法をしているとことなどが描かれている。

ここも獅子像が四面に彫られている。仏教に獅子って?「ライオンはインドのナショナルシンボルなんです」。2000年以上も前から獅子がシンボルなのだろうか。

多くのストゥーパは略奪にあっている

東トラナと南トラナの周辺には、かつてのストゥーパや建物の跡などが点在している。「アショーカ王の柱」はなくなったストゥーパに立っていたものだという。

「ストゥーパはたくさんあったが、中に宝石とかが入っていたので壊された」という。そんなに多くの人が仏舎利を手にできたわけだはないだろうから、僧侶や有力者の墓もストゥーパの形をとって、自分の遺骨を入れてストゥーパと呼んだらしい。今ではたくさんの痕跡しか残っていない。

少し離れたところにある、第3ストゥーパと同規模の第2ストゥーパは、上部の舎利容器を収める部分が壊されているという。

ギリシャ風の建物もある。「テンプル17」「テンプル18」と番号が振られていた。

テンプル17

「ギリシャ人にも仏教徒がいたそうです」とガイド。ギリシャ人が礼拝しやすい場だったのだろうか。

テンプル18

その先にも寺院や宿坊の跡が残っている。「宿坊には1人4畳半ぐらいの部屋がたくさんあったそうです」とガイド。

大きな石の入れ物があった。「托鉢に行って集まった食べ物を1カ所にまとめるための石の大きなお椀なども見つかっています」というから、多くの僧侶がいる大きな仏教施設だったとともに、周辺の街も大きかったのだろう。

  1. この記事へのコメントはありません。