ドゥブロヴニク旧市街(クロアチア)

ドゥブロヴニク展望台~旧市街~城壁

「アドリア海の真珠」とうたわれているドゥブロヴニク(Dubrovnik)。地中海に突き出た長靴型のイタリア半島の「ふくらはぎ」側と欧州大陸の間の細長い海、アドリア海に面したオレンジ色の屋根が連なる街に2009年、行ってみた。

町を見下ろす高台。本来はここにケーブルカーがあったそうだが、1991年の内戦で破壊されていたので、展望台のようなところにバスで上がって、まず市街を一望した。いまは復旧したそうなので、違った角度から一望できるのだろう。

ドゥブロヴニク旧市街への入口の1つ、ピレ門から入る。内戦被害の地図の前に立った。

内戦の爪痕が残る旧市街

「赤は焼けたところ、黒い三角は建物、黒い丸は道路など破壊された所です。たくさんの人が殺されたり、ケガをしました」と、クロアチア人ガイドが淡々と説明する。

1991年にクロアチアが旧ユーゴスラビアから独立を宣言したことで、ユーゴ軍がこの街を7カ月包囲し、砲撃と空爆で民間人も無差別に攻撃した。内戦の爪跡を知ることが、この街を知る入口なのだろう。

時折小雨のあいにくの天気の中、ピレ門をくぐると、メーンストリートのプラツァ通りにでる。右手には「オノフリオの大噴水」、左手には「フランシスコ会修道院」がある。

メーンストリートプラツァ通りの左側にフランシスコ修道院

オノフリオの大噴水、1438年につくられたという。さすがに使い込まれた感じはする。壁面に顔の彫刻があり、その口から出ている水は天然水だという。地元の人は飲んでいたが、おなかの保証はしない。

修道院には、1391年創業という世界で3番目に古い「マラ・ブラーチャ」という薬局がある。噴水の水を飲んで調子が悪くなっても駆け込めば心配なさそうだ。1、2番はどこか分からなかったが、後で調べてみたら、イタリアとドイツにある。

フランシスコ修道院の彫刻

 

おしゃれな表通り、粋な裏通り

プラツァ通りの左右には商店が並んでいる。観光地によくある雑多なものが並ぶ「土産物店」という感じではなく、おしゃれな感じ。路地に入ってみるとまた、なかなか楽しい。

絵を売っていたり、皮製品を売っていたり、小さな店やしゃれたカフェ、バーなどが点在する。ただ、傘を差すとすれ違うのがやっとという狭いところもあるので深入りしなかったが、天気がよければもっと散策してみたかった路地裏だった。

プラツァ通りに戻って、突き当たり左に「スポンザ宮殿」。16世紀初頭に建てられたといい、中は内戦博物館のようになっていて、当時の市街地の様子や犠牲者の写真などが展示してある。

雨宿りのつもりで入ったが、見ごたえがあってけっこう長居した。その甲斐あって、雨が上がった。代わりに、強い風が吹き付けてくる。

ルジャ広場を挟んで宮殿の前に「聖ヴラホ教会」が建つ。18世紀に建て直されたバロック建築で、屋根の一番上に立つ聖ヴラホは街の守護聖人だという。

広場に「ローランド像」という男性の像が立っているので近づいてみよう。

商取引に使われた騎士像

8世紀の騎士の像なのだが、右手が不釣り合いに長い。実は、このひじから手首までの長さ51㌢が、ここでの商取引の基準寸法だった。品物の長さでもめると、ここにきて測っていたという。
古代世界でもひじから手先までの長さを表すキュビットという単位を使っていたというから、体の一部を物差し代わりに使う発想は、どこにでも当然のようにあったのだろう。

  1. この記事へのコメントはありません。