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ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域(イタリア) エルコラーノ

「パン屋でした」という店にはパンを焼く窯がある。今のピザ窯に似ている。当時もピザを焼いていた、なんてことはないのだろうか。

パン屋の窯

公衆浴場や井戸などもあって、このあたりは生活の匂いがする。少し離れたところには「競技場」がある。またトレーニングジムだったという建物もある。貴族も健康管理が大事だったのだろう。

競技場

人骨が語る被害の様子

埋め尽くした溶岩が比較的低温だったのが分かるのが「木の階段」。ポンペイのような高温の火砕流ではひとたまりもないが、炭化しかけているとはいえ木が残っているのがその時の状況を伝えているように思える。建物にも炭化した木の柱や梁が残っているものも多い。


2時間ほど街をぐるっと回って、溶岩層を貫いたトンネルを抜け、最初に高台からのぞいた倉庫のような建物に向かう。ガイドは「ボートハウス」といっていた。
いくつかの部屋の中は丸見えになっていて、中にはおびただしい数の人骨が散らばっている。


「ここは船庫でした。噴火の後に逃げ遅れた人が避難してきたのでしょう。ただ、一瞬に埋まってしまったと考えられています」という。年月を経て人骨は残り、発掘された。


人が集まったのは「かつては海に面していました。ここから船で逃げようとしたのかもしれません」という。今は海の気配もない。溶岩が海も埋めてしまったのか、今の海岸は2㌔先だという。当時の人たちの絶望感が伝わってくる。


一瞬のうちに飲み込まれた街は、1739年から発掘が始まったが、遺跡の上にすでに街ができており、固い溶岩にも阻まれてまだ4分の1程度しか発掘が進んでいないという。今後も新しい発見があるのだろうか。

1997年登録

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