
ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域(イタリア) エルコラーノ
ポンペイは火山灰と高温の火砕流に襲われて壊滅した。降り積もった火山灰は6㍍に達したといわれているが、エルコラーノの場合は数度の火砕流と「低温の溶岩が襲ってきた」(ガイド)という。
溶岩は20㍍以上も街を埋めてしまった。ポンペイほど高温ではなかったことと、それまでの火砕流で蓋をされた形になってすっぽり埋め尽くしてしまったので、建物の外観や内部の壁画の色なども残ったとされるそうだ。

さらに進むと「凱旋門」。天井は花の彫刻で飾られている。何の凱旋か聞いたが、ガイドにも分からなかった。
生活の痕跡も残っている
エルコラーノ遺跡の中でも保存状態がいいのが「ポセイドンの家」。壁画がかなり残っている。ポセイドンはギリシャ神話オリンポス12神の1人で海の支配者、古代ローマではネプチューンと呼ばれていた。港町だけに、この海神が好きな街だったらしい。

壁に描かれているのが「ポセイドンとその妻アンプトリータス」のモザイク画。色遣いも含めて、きれいに残る。現在の家にすぐに飾れるぐらいの出来映え、残り具合だ。

ワインを保管する壺アンフォラが大量に置いてある部屋もあった。裕福な人が住んでいたというのはこういうことらしい。

「当時の街は鉛の管で水を引いてきていたので水質がよくなくて、寿命も男性で40歳、女性で30代前半と長生きできなかった。水質が悪いので、代わりにワインを飲んでいた」とガイド。水代わりにワインを飲む人は昔からいたようだ。ただ、アルコール度数は低く「5%ほどといわれています」という。
繁華街だったと思われる交差点にきた。角にはポンペイにもあった「居酒屋」風の店がある。

かつての居酒屋?
貴族の別荘地とはいえ、貴族だけが住んでいたわけではないだろう。大衆のたまり場だったのだろうか。テーブルに埋め込まれた甕には「ワインやオリーブオイルが入っていたとされます」という。
近くには透明のカバーがかかっていたが「当時のメニューです」という絵が壁にある。ワインの種類を絵で描いていたようだ。
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「パン屋でした」という店にはパンを焼く窯がある。今のピザ窯に似ている。当時もピザを焼いていた、なんてことはないのだろうか。

パン屋の窯
公衆浴場や井戸などもあって、このあたりは生活の匂いがする。少し離れたところには「競技場」がある。またトレーニングジムだったという建物もある。貴族も健康管理が大事だったのだろう。

競技場
人骨が語る被害の様子
埋め尽くした溶岩が比較的低温だったのが分かるのが「木の階段」。ポンペイのような高温の火砕流ではひとたまりもないが、炭化しかけているとはいえ木が残っているのがその時の状況を伝えているように思える。建物にも炭化した木の柱や梁が残っているものも多い。

2時間ほど街をぐるっと回って、溶岩層を貫いたトンネルを抜け、最初に高台からのぞいた倉庫のような建物に向かう。ガイドは「ボートハウス」といっていた。
いくつかの部屋の中は丸見えになっていて、中にはおびただしい数の人骨が散らばっている。

「ここは船庫でした。噴火の後に逃げ遅れた人が避難してきたのでしょう。ただ、一瞬に埋まってしまったと考えられています」という。年月を経て人骨は残り、発掘された。
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