
ファテープル・シークリー(インド)

マリヤムの館
中に入ってみると、壁画のようなものも残っている。ヒンドゥーの神クリシュナなどが描かれているという。

世界遺産の観光地だからだろうが、域内はきれいに清掃されている。建物1つ1つがくっきりとしていて、どこか閑散としている。ここが宮殿だったのだろうかとも思えてくる。

インドをほぼ手中にしたアクバル帝が、アーグラー城建設途中からここに造り始めた。なぜ2つの城が必要だったのか。
一番の理由は「占い」だったといわれる。男児に恵まれなかったアクバル帝は、アーグラー郊外の村シークリーの聖人シェレク・サレーム・チスティの予言を受けに来て「男児が授かる」といわれ、その通り翌年に男児、第4代皇帝ジャハンギルが生まれた。
敬意を表して、シークリーにファテープル(勝利の都)を造った。ちょうど戦いに勝った後だったからといわれる。「アーグラーの夏の暑さに耐え切れなかった」というガイドの説が当たっている気がする。

宮殿内を流れる水路
城内では建物が密集せず、丘の上なので風通しがよさそう。「水不足もあって1574年から14年間しか使われなかったから、きれいなまま残った」(ガイド)という。なんとも贅沢な「宮殿」だ。

ただ、略奪などは世の常だし、こんな大きな空き家なら住みたくもなるだろう。後になって、かなりの建物は壊されて石を持ち出したのが分かるのだが、多くの主要な建物が残っているのは不思議。大きな建物や装飾が美しい建物は壊しにくかったのかもしれない。
後宮5000人の権力者の館
「マリヤムの館」から進むと「宮殿地区」の主要部に出る。まず目を引くのが5層の石の楼閣「パンチ・マハル(Panch Mahal)」だ。上に行くにしたがって柱の数が減り、一番上は4本柱の建物になっている。

パンチ・マハル
用途はよく分かっていないそうだが、造りからいっても風通しがよさそうで「皇帝が涼んだり、景色を見たりしたといわれています」とガイド。そのすぐ下に「女学校」がある。
この宮殿を造ったアクバル帝は3人妻のほか300人の妃がいて「後宮5000人」というほどの女性を抱えていたといわれる。涼みながら、学校を見て気に入った女性を探していたのだろうか。

回廊を通っていくと、真ん中に池がある広場を囲むように建物が立っている。反時計回りに行くと「カース・マハルとクワーブガー」という建物にでる。

クワーブガー
ここは皇帝の居住する建物で、親しい人たちと謁見する場所でもあった。扉がなく、ここも柱が外から見える。プライベートが守られたのかどうかは分からないが、低い柱で何層にもなっている。

ここまで見てきても「夏を涼しく」の発想で宮殿を造ったような気がしてならない。どこも閉め切らないように造られている。かつては「布や絨毯、木製の家具があった」という。
ムガールはモンゴルのことなので、遊牧民の生活のよさを取り入れたのだろうか。建物の横に「皇帝の風呂」があった。露天で、半カプセルのようなものは「上から水を落とすシャワーだった」という。
この記事へのコメントはありません。