
昌徳宮(韓国)

焼失、再建を繰り返した宮殿
仁政門をでて「粛章門」を通ると今度は「宣政殿」の一帯に出る。王の公式の執務室で、臣下との各種会議が開かれたところだという。壬辰倭乱の時と、第16代仁祖が昌徳宮を再建した光海君をクーデターで追い出した仁祖反正の時に焼失したが、1647年に再建。「宣政門」をくぐると、屋根がついた廊下が続いていて「宣政殿」につながっている。
ここも内部を見学できる。仁政殿を小ぶりにしたような雰囲気の内部の造りで、緑や赤茶を主体に彩色された天井や壁、置いてある御座は低めだった。よりくつろいだ雰囲気だったのだろうか。

宣政殿の玉座
一応、ガイドブックを頼りに歩いたが、各所には案内板が立っている。ただし、ハングルと英語表記なのでご注意を。一般観覧でも日本語のガイドツアーがあるというので、秘苑観覧との時間を調整して申し込めばいいかもしれない。
さて、政治に重要な2つの場所を過ぎると、王室の生活の場になる。まず、王の寝殿兼執務室だった「煕政堂」。1917年に焼失し、景福宮から建物を移築して造ったので、昔とは違うそうだ。そういえば、それまでの建物とは正面からして雰囲気が違う感じだ。

煕政堂
煕政堂を抜けると、王妃の寝殿の「大造殿」一帯になる。メーンの大造殿を囲んでたくさんの建物が密集している。こちらも焼失後に景福宮の建物を移築した。
建物の形は違うが元々の宮廷様式で構成されている。王の寝殿より大きいのはそうした移築のせいなのか、元々そうなっていたのかはわからなかった。

戻って煕政堂を出ると、秘苑の入口だった。秘苑への道の周囲に皇太子の居所「誠正閣(東宮)」の建物群がある。

東宮一帯
各建物群にはたくさんの付属の建物があり、名前がついているものも多いが、外観や色づかいが似ていて分かりづらい。建物をつなぐ道には門があり、やはり迷路のようになっている。時間が合えば、日本語ガイドツアーがお勧めだ。
往時はもっとたくさん建っていたらしい。すべての建物、道順を覚えたのだろうか。宮仕えはいつの時代も大変そうだ。
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