チュニスのメディナ(チュニジア)
チュニス・ブルキバ通り~フランス門~メディナ~グランドモスク~カスバ広場~保存協会
2011年1月、飛び込んできたニュースにびっくりした。チュニジアの首都チュニス(Tunis)を中心とした民主化を求める市民の大規模デモなどで、ついに23年間独裁政治を続けていたベンアリ大統領が国外逃亡した。
いわゆる「ジャスミン革命」でその後の「アラブの春」の発端となった。突然のニュースに、妻が現地在住の友人と連絡を取ったが、むしろ事態を歓迎している様子だった。
その2カ月前の2010年11月、行ってみた。街は平穏だったので、突然の政変には驚かされた。
ジャスミン革命2カ月前のチュニス
チュニス都心部の大通り、ブルギバ通りに面したホテルで友人のカウターさんと待ち合わせた。案内してくれたのが、メディナ(Mèdina de Tunis)と呼ばれる旧市街地。イスラムの都市の多くには、こうしたメディナが残っており、さまざな物を売る小さな店がびっしりと連なるスーク(市場)が主になっている。
「迷ったら分からなくなるから、離れないでね」とカウターさん。メディナの入り口、かつてはそこまで海だったというフランス門から路地に入った。モロッコの迷宮都市のような規模ではないというが、曲がりくねった小さな路地が多く、十分迷いそうだ。
のっけから、日本語で声を掛けられる。「コニチワ」「ドウイタマシテ」「オオキニ」などあいさつ系や、間違って「ニーハオ」とか、値段の連呼のほか、なぜか「ナカタ」。2002年サッカーW杯予選リーグで日本に敗れたチュニジア。その時に覚えたのだろうか、まだ記憶に残っているらしい。どう返事したものか。
いきなり「サラバジャ」と言われたので「サラバジャ」と笑って返した。路地には土産や日用品、食べ物を売る店が軒を連ねる。
入り口付近には観光客目当ての雑多な土産物店が多いが、売り物によって店がある程度固まっているのが特徴といい、帽子店ばかり、クツ店ばかりなどという一角も。値段を比較するには便利ではある。
カウターさんの説明を聞きながら人込みの中を進んだが「ここは見た方がいいわよ」とカウターさんが妻を引き止めたのが、金製品の店が建ち並ぶ一角。2人であれこれ品評会をしていたようだが、面倒なことにならないように少し離れていた。
住んでいる人の名前がついた路地
少し横道にはいると、喧噪がウソのように静かになる。小さなモスクがあったり、バイオリンの絵が描いてあるドアは音楽教室だったり。ただ、普通の民家もたくさんあるので、むやみにのぞくのはやめた方がいい。
カウターさんも元々メディナに住んでいて、実家の名前がついた路地がいまでも残っている。このメディナ、イスラム圏に組み込まれた7世紀から建設が始まり、15世紀には今の形になったという。独特のチュニジアン・ブルーに塗られた扉も目に付く。
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