古都奈良の文化財(日本) 東大寺
高さ14・98メートル、手の平(掌)は2・56メートル。こちらも比較するものがないので数字でもピンと来ないが、大仏殿内の柱の1つに穴が開いていて、みんなが通り抜けている。これが鼻の穴と同じ大きさとされている。
四角いので大体ということなのだろうが、少しは実感できる。ただし、挟まって動けなくなると大変なので、無理はしないこと。私はやめた。
この大仏様、1567年に大仏殿が焼失後、1691年に再建されるまで雨ざらしだったという。大仏も大きいが、わきにある2つの菩薩像も大きい。
左に虚空蔵菩薩坐像、右に如意輪観音菩薩坐像の三尊式。ともに10mあるというが、大仏が大きすぎて小さく見える。その奥には四天王のうち、広目天、多聞天の立像が配されている。
薄暗くなってきたので、当初の目的のお水取りを見に向かう。あいにくの雨模様になってきた。朱印をいただいて「二月堂」に急ぐ。
大仏殿の裏手には、有名な「正倉院」がある。詳細は省くが、校倉造の高床式倉庫で、聖武天皇、光明皇后ゆかりの品や、唐や西方から渡ってきた品など、多数の美術工芸品や文書などを収蔵している。「シルクロードの終着点」ともいわれる。以前1度、前まで行ったことはあるが、今回は行かなかった。
整理済だけで9000点を超える宝物が収められている。1300年近くも保管されてきたのは奇跡的。毎年秋に奈良国立博物館で「正倉院展」が開催されるので、その時に見学に行くのがいいだろう。
「お水取り」で火の粉を被る
創建当初から現存している「法華堂(三月堂)」の横を通って「二月堂」へ。すでに多くの人が傘を差して待っているため、前の方には行けなかった。相当早くからでないと二月堂の近くには行けないようだ。
二月堂は2度の戦火を免れたが、江戸時代にお水取りの最中に失火から焼失し、2年後の1669年に再建された。
お水取りは「修二会(しゅにえ)」という。752年から途切れることなく行われ、国家安泰や五穀豊穣など人々の幸福を願う行事。詳細は省くが、若狭井という井戸から二月堂の秘仏十一面観音に供える水をくみ上げる儀式なのだそう。その際に大きなたいまつを点けたのが、今につながっている。
二月堂の舞台を巨大な松明を振りながら走り回るのがお水取りのシンボル的なシーン。その火の粉を浴びると健康、幸せになるという。後ろの方だったのと、雨もあって火の粉が飛んでこなかったので、残念ながら浴びることはできなかったが、1300年近く続く行事を一度は見ておきたい。
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