
日光の社寺・上(日本) 東照宮
東京~東武日光~世界遺産巡りバス大猷院・二荒山神社前~日光東照宮
「日光を見ずして結構と言うなかれ」は、よく聞くことわざだ。ちなみに結構は「優れている」という意味で、「必要ない」ということではないので念のため。初めて行ったのは半世紀ほど前で、それから何度も行っているので、もう何事にも「結構」と言う資格はあると思う。世界遺産としてまとめていったことがなく、いつもほぼほぼ雨であまり写真が残っていなかったので、あらためて2026年、行ってみた。
日光の社寺として登録されているのは、二社(東照宮、二荒山神社)一寺(輪王寺)と関連施設で100以上の建物が含まれている。その中心となるのがやはり徳川家康を祀る「東照宮」になる。今回は東武日光駅から世界遺産巡りバスで大猷院・二荒山神社で下車、そちらを見てから東照宮に歩いたが、先に日光の中心、東照宮を紹介したい。
家康は1616年に亡くなり、静岡の久能山に祀られてから1年後、遺言で江戸の北、北辰(北極星)の下にある日光に改葬され、「東照大権現」として江戸を、日本を、守る神として鎮座した。ちなみに権現は仏が仮(権)に日本の神の姿として(現)われたという神号だという。
総工費400億円とされる豪華建築
東照宮のHPやパンフレットによると、現在残っている建物は1636年に江戸幕府3代将軍徳川家光によって建て替えられたもの。総工費は現代の金額で約400億円、各分野のエキスパートが集結し、延べ約454万人が工事に携わって、わずか1年5カ月で完成させた。1日当たり1万人近い人が働いていたことになる。
東照宮の参道を行き、石の「一ノ鳥居」をくぐる。この鳥居は九州の筑前藩の黒田長政が寄進したもので、石材は九州から船で運んできたそうだ。

進むと、左手に「五重塔」がある。1635年に小浜藩主酒井忠勝が寄進。一度火災で焼失し同じく小浜藩主が再建した。行った日は何かの行事なのか近づけなかった。遠目だが、1層目の下に家康の寅、秀忠の卯、家光の辰の彫刻が並んでいるのが見える。


五重塔の先の券売所で拝観権を買って、赤い「表門」をくぐると、東照宮の境内になる。

境内に入ると道はすぐ左に曲がるが、目の前の「三神庫(じんこ)」という3つの蔵がある。右から下神庫・中神庫・上神庫が並んでいるが、下神庫は改装中だった。馬具や装束類が収められているという。
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上神庫(左)と中神庫(右)
三神庫の向かいにあるのが、神馬を収める「神厩舎」。壁には「見ざる言わざる聞かざる」の「三猿」の彫刻がある。馬を守るとされる猿に人の一生を擬した一連の彫刻の一部で、この場面だけ有名になった。ちなみに東照宮には5173体もの彫刻があるそうだ


その先で参道は右に折れる。城によくある防御用の枡形のような感じだ。「御水舎」で手や口を清め、「銅鳥居」をくぐる。右手には「鐘楼」、左手には「輪蔵」、「鼓楼」が建っている。その先の階段の上に国宝「陽明門」がそびえている。
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