
フエの建造物群・下(ベトナム)
この建築に多大な費用がかかり、税金を20%上げたため、国民からは大きな反感を買い「最も嫌われた皇帝」とも言われたそう。支配者側のフランスには受けが良かったのだろうか。ただ、今にいたっては、世界遺産に登録されるほどの価値ある建造物になって国民に利益をもたらしている。
グエン朝最盛期を生んだ第2代ミンマン帝廟
最後に行ったのが車で10分ほどの第2代ミンマン(明命)帝廟。在位は1819~1841年。儒教を重んじて中国(清)とかかわり、キリスト教をはじめ欧米文化の廃絶に務めたそうだ。「考陵」と呼ばれる。
駐車場から外壁の右側にある門に向かう。正面に立派な門が見えるが、使用していない。「ダイ・ホン(大紅)門」といい、ミンマン帝の遺体を運び込んだ時に開かれ、以後閉じているそうだ。観光客は東側の左紅門、西側の右紅門から入る。我々の駐車場からは右紅門が近かった。

ミンマン帝廟・大紅門
中に入って左に進むと、大紅門を入ったところの広場に出る。「拝庭」で、例によって武官、文官や動物の石像が並んで立っている。グエン朝の皇帝廟は同じ決まり事で作っているのだろう。

ミンマン帝廟・拝廷
陵内の地図を見ると、主要な建物は大きな2つの池の真ん中を貫くように一直線上に配置されていて、大紅門から始まって、最後は陵墓に突き当たる。
拝庭を出ると、目の前に現れるのは「碑廷」。皇帝廟には必ずあるものの1つで、中にはミンマン帝の業績を記した石碑が立っている。

ミンマン帝廟・碑廷内の石碑
次に、立派なオレンジ色の建物が目に入る。「ヒエン・ドック(顕徳)門」という、中国ふう建築の門。3つの扉があるが、やはり真ん中は皇帝が通るので閉じられており、左右どちらかを使用する。

顕徳門をくぐると、礼拝堂または寝殿としての建物で「スン・アン(崇恩)殿」に出る。こうした祈りの場所も必ずある。内部にはミンマン帝と皇后の位牌が祀られている。


先に進む。少し高くなったところにあるのが「ミン・ロウ(明楼)」。中には皇帝が生前使用した寝台が置かれているというので、こっちが実際の寝殿か。

ミンマン帝廟・明楼
ここで1つ目の池が終わり、2つ目の三日月形の池にかかる「新月橋」を渡ると、陵墓に突き当たる。扉が閉められて、見学もここまで。ただし、先述したように、この陵墓に遺体は祀られていない可能性が高い。
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