フエの建造物群・下(ベトナム)

カイディン帝廟・拝庭

カイディン帝廟・碑廷

3、4段目は狭く、見る建造物もないので5段目の広場へ。ここまでで階段は120段あったらしい。広場の奥に階段で少し上がったところに「啓成殿」が建っている。寝殿にあたるところで、陵墓というよりは小さな宮殿という感じの作りになっている。

外は地味な色合いに見えるが、フランスから取り寄せた鉄筋コンクリート造り。当時しては先進的な建築だった。屋根の装飾がきれいだ。

カイディン帝廟・啓成殿

中に入るとびっくりする。壁には細かな彫刻のほかに、アジア各地から集められたガラス瓶や陶器の破片をモザイクのように組み合わせた花や鳥などの模様が彩っている。よく探すと日本のものも見つかるという。

奥にカイディン帝の墓所がある。金箔をはられたカイディン帝の座像の足元に眠っているという。先に触れたが、亡骸が祀られた場所を特定できる皇帝はカイディン帝だけだという。

この墓所の部屋もさらに装飾が豪華。特に天井に描かれた龍の図が圧巻だ。また、ドライフラワーになった花輪が置いてあるのは、1925年に亡くなった時の葬式に来たフランス人が持ってきたものだという。

カイディン帝廟天井画

この建築に多大な費用がかかり、税金を20%上げたため、国民からは大きな反感を買い「最も嫌われた皇帝」とも言われたそう。支配者側のフランスには受けが良かったのだろうか。ただ、今にいたっては、世界遺産に登録されるほどの価値ある建造物になって国民に利益をもたらしている。

グエン朝最盛期を生んだ第2代ミンマン帝廟

最後に行ったのが車で10分ほどの第2代ミンマン(明命)帝廟。在位は1819~1841年。儒教を重んじて中国(清)とかかわり、キリスト教をはじめ欧米文化の廃絶に務めたそうだ。「考陵」と呼ばれる。

駐車場から外壁の右側にある門に向かう。正面に立派な門が見えるが、使用していない。「ダイ・ホン(大紅)門」といい、ミンマン帝の遺体を運び込んだ時に開かれ、以後閉じているそうだ。観光客は東側の左紅門、西側の右紅門から入る。我々の駐車場からは右紅門が近かった。

ミンマン帝廟・大紅門

中に入って左に進むと、大紅門を入ったところの広場に出る。「拝庭」で、例によって武官、文官や動物の石像が並んで立っている。グエン朝の皇帝廟は同じ決まり事で作っているのだろう。

ミンマン帝廟・拝廷

陵内の地図を見ると、主要な建物は大きな2つの池の真ん中を貫くように一直線上に配置されていて、大紅門から始まって、最後は陵墓に突き当たる。

拝庭を出ると、目の前に現れるのは「碑廷」。皇帝廟には必ずあるものの1つで、中にはミンマン帝の業績を記した石碑が立っている。

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